ガエル記

散策

安全ピンじゃなく鉄拳で

ツイッターをやってるのですが、このところ私のタイムラインは「安全ピン」の話で持ち切りです。

「安全ピン」がどうかしたのかと思われるでしょうが「痴漢に遭った時の防御のために手のひらに安全ピンを隠しておき触られたらそれで刺せ」というマンガのツイートに対して男性たちが示した反応が「それは暴力だ。過剰防衛だ。冤罪だったらどうする。冤罪で刺されたらそいつの顔をぼこぼこに殴ってやる」などばかりであったというのです。

「女性たちがこれほど怯えているのなら俺たち男が守ってなきゃ」というのではなく「男に対しての侮辱だ。そんな女はレイプしてしまえ」というようなツイートが並び続けるのを見て女性たちの嘆きのツイートも並び続ける、という状態になってしまっているのですね。

 

もちろん私がフォローしている男性ツイッタラーには幾人か「そういう女性たちの苦悩を和らげてあげないといけない」という人々もいるのですが、どうもそういう男性たちはこの日本では少数派のようです。

いったいこの日本の男性たちの思考というのはどうなっているのでしょうか。

今の日本は経済危機、年金問題少子化、政財界の腐敗、教育制度の混沌、原発問題など将来の不安が山積みですが、私は男女の性差の問題というものがもっとも深刻なものではないかと考えてしまいます。

 

男女の性差の意識は少子化の問題に直結します。女性の男性への不信感がなくならなければ少子化問題は解決するどころか深刻化していくでしょう。そこに教育制度の問題が絡んできます。こうした意識は教育からくるものだからです。

 

先日、上野千鶴子氏の東大入学祝辞で「フェミニストというのは弱い立場の者が弱いままで尊重されることを望むことです」という言葉に感銘を受けたのですが、ここまで男性たちの意識が変革しないのであれば女性たちが変わるしかないとは思ってしまいます。

そのためにはどうしても幼児期からの教育が必要なのです。強い意志を持って大きな声で発言をすることが日常で行う教育なのです。

自分自身もそうですが日本女性はあまりにも弱すぎます。ツイッターでも「悪いことをする方が悪い。声を出せないことを察してほしい」という声が多すぎるのです。

私もそうです。弱いのです。それは悪いことではなく日本の女性としては美徳として称えられてきたわけです。でもそうではなかったのですよ。おとなしく黙って耐えるよう仕向けられてきたのは男たちに痴漢をさせるためだったというわけです。

いくら女性たちが手のひらに安全ピンを隠し、大きな声を出せずにアプリで「助けてください」と言わせても日本の男たちは「冤罪だ。侮辱だ。レイプしろ」というばかりで自分たちを改革しようなどとは思わない生物なんです。

過剰防衛がなんでしょうか。

そのことばで女たちがびびるのを見てほくそ笑んでいるだけなんです。

安全ピンやアプリなどではなく、素手で殴りつける習慣を!

冤罪などどうでもよいので触ってなくても嫌なものを感じたら「気持ち悪い」とすぐに叫ぶ大きな肺活量を!

 

堂々と表現できる教育制度を期待したいのですが、ジョージ・カーリンから「そんなことを国に期待しても無駄」と言われたので自分で自分を教育するしかないようです。日本国はおとなしくて何も言えない日本女性という教育をやめることはないでしょう。

痴漢にあったら叫んでとびかかりましょう。

日本の男たちは自分たちからは変わらないのです。

過剰防衛などではない。

あなたの心が未来が死んでしまうかもしれないのだから。