続けます。
ネタバレですのでご注意を。
真面目でおとなしいクレオと関係を持ち、妊娠した彼女を罵倒して逃げたフェルミンは暴動を起こした一人でした。彼に銃を向けられたクレオはショックで破水し、子供は死産でした。
場面は静謐な屋敷に変わります。穏やかな光が入る部屋。
狭い駐車場でいつものように犬が吠え通り過ぎる笛の音が聞こえてきます。
アデラがクレオを励ますように話しかけてきます。
そんな中でクレオはひとり沈んだ顔をして座っていました。
そこへ女主人のソフィアが新しい小型車を買って帰ってきました。みんなでトゥスパンというビーチ村へ出かけましょう、クレオも一緒に、と誘うソフィア。
一度は断ったクレオですが子供たちが甘えて誘うので一緒に行くことを承諾します。
海についた子供たちは大はしゃぎです。
浜辺には他に誰もいません。
宿へ行き子供たちは日焼けの手入れに悲鳴をあげています。
ペペはクレオに話しかけますが、クレオはあまり話せないのです。
そうでなくても無口でおとなしいクレオでしたが「フェルミンと赤ん坊の事件」からクレオは打ちのめされているのでしょう。
食事をしながらソフィアは子供たちに「パパはもう戻ってこないの」と告げます。「この旅行はパパが自分の荷物を家から運び出すためにしているの」
仕送りもしてくれないので自分がもっと働かなくてはいけない、みんなで支え合っていきましょう、と。子供たちは茫然として泣いたりしていますがクレオだけはうなづきます。
傍では楽し気な結婚式が行われていますが、ソフィア家族は固まって座って過ごしています。
クレオだけが立っているのです。彼女はここでも不安そうで心細く見えます。
翌日みんなはまた海辺へでかけました。波の音が心地よいです。
広いビーチは他は誰もいません。
子供たちのうちソフィとパコは海に夢中です。母親ソフィアは車の様子を見なければいけないからと言って細かく注意し、クレオに監視を頼んで長男トーニョとその場を離れます。
小さなペペはおとなしくクレオのそばにいますが、ソフィとパコはすぐにママの言いつけを破って波打ち際から深いほうへと泳ぎだします。
クレオはペペを休憩所に入れるために歩きながらもソフィとパコを叱り始めます。しかしふたりが戻ってくる様子はありません。
カメラは二人の様子は見せずクレオだけを追っていきます。
ペペをそこに残して海へ入っていくクレオ。クレオは泳げません。
ソフィとパコを呼び続けながらクレオはどんどん海に入っていきます。
先ほどまで心地よさそうに見えていた海はかなり波が高くクレオは何度も倒れそうになりながら二人を追いかけます。
波にもまれて危ないところだったふたりをクレオは必死で助け出しました。
なんとか岸までたどり着きクレオとパコとソフィはそこで崩れるように座り込みました。
そこへ母親ソフィアとトーニョ、ペペが駆け寄ってきます。
「どうしたの?」
「クレオが助けてくれたの」
「まあ、ありがとうクレオ」
波打ち際の浜でソフィア家族はクレオを取り巻いて抱き合いました。
日差しがまぶしく家族に注ぎます。
「欲しくなかったの・・・」
突然クレオは言うのでした。
ソフィアは訳が分からず戸惑って「子供たちは大丈夫よ」と返します。
「生まれてきてほしくなかったの。かわいそうにあんなにちいさかったのに」
子供たちとソフィアはクレオを抱きしめます。
「わたしたちクレオが大好きよ。大好き、大好きよ」
ポスターになっているあの抱擁場面です。
こういう場面だったのですね。
場面は変わりソフィア家族は車で帰宅しています。
ソフィアも上の二人の男の子たちも硬い表情で何も言わないままでいます。
ソフィアは放心状態のようでもあります。トーニョとパコは何かを考えて外を眺めています。
ソフィとペペはクレオに甘えかかり「大好きよ」と言っています。
クレオはここで初めて安らいだ表情をしながら外に目をやっています。
屋敷に戻ると父親アントニオが荷物を運び出していました。本棚を持ち出してしまったので床に本が山済みになっています。
おばあちゃんがみなを迎えます。
父親がいなくなったので部屋が変わって広くなったと皆大喜びです。
屋敷に戻るとすぐに家政婦の仕事を始めるクレオ。
スムージーを頼む子供たちに返事をしながらクレオは大量の洗濯物を運んで屋上の部屋へ向かいます。
空には高く飛行機が飛んでいきます。今までのどれよりも高く。
すぐに答えは出てはきません。
「クレオが大好きよ」とは言っても帰宅すればクレオは家事をしますが子供たちがそれを手伝うわけでもなく頼むだけです。
でもクレオはそういう役割であることを「受け入れた」のだと思うのです。
旅行したクレオは友達でもある同僚アデラに「たくさん話があるの」と自分たちだけ通じる言葉で言います。
そしてたくさんの荷物を持って屋上へと向かうクレオの姿が見えます。そこへ飛行機がさらに高く飛んでいくのですからクレオの心が高く舞い上がっていくかのように思えます。
雇い主であるソフィアと雇われて働くクレオ、という対比があります。
名前もソフィアという名前は知的労働者を意味しているように思えますし、クレオという名前は親し気な意味合いを持っているようです。
立場の全く違う二人の女性は男たちの横暴さに抑圧され振り回されるしかない弱い存在という意味では同じでした。
ソフィアは夫を失うことを子供たちに隠しつなぎとめようと苦しみ時に暴言や暴力すら行ってしまいましたがすべてを子供たちに告白し自分たちだけで生きていかねばならないと決意することで解き放たれます。
クレオはフェルミンという男性的な男に好意を持ちましたが裏切られその子供が生まれることを嫌悪していた自分を責め自分自身を否定しつづけていたのでしょう。(だから声が出なくなった)
でも自分の愛がどこにあるのかを知って初めて自分を肯定することができました。晴れやかなクレオの表情にほっとしました。
タイトル「ROMA」を逆から読むと「AMOR」=愛なのです。
住んでいた場所ローマのなかにこそ愛は潜んでいました。
ちょうど先日まで分析していた「この世界の片隅に」と同じようなテーマがここにあります。
ごく平凡な真面目な女性が自分を見つめそこにあった「愛に気づく」物語です。
それはそこにありながらも単純に手に入るわけではありません。
彼女たちが懸命に生き抜きもがき苦しんだ末に見つけた愛です。
「この世界の片隅に」では夫・周作さんが良い人でしたがそれでも彼の愛だけでヒロインが愛を確信したわけではありませんでした。むしろ義姉の心で愛に気づきました。
「ROMA」ではクレオは男の愛を手に入れることはできませんでした。これまでのヒロインの物語では素晴らしい王子様との結婚しその人の子供を産むことがハッピーエンドの象徴であったのがこの二つの物語のどちらもがそうではない、のです。
「この世界の片隅に」ではすずと周作の間には子供ができず、まったく見ず知らずの他人の子供の世話を始めることで愛と幸せの予感をさせるように「ROMA」では我が子ではなく雇い主の子供たちに愛されることでクレオは安らぎを見出していきます。
もちろんそのどちらも単純に容易い愛でないことも予感させます。
「ROMA」でクレオが子供たちを救うために荒れ狂う波にのまれそうになりながら立ち向かったことで子供たちをなんとか救えたように、これからもそうした苦難が何度も彼女を襲うでしょう。
愛を得るのは困難なことであり、しかしその報酬は心にこれ以上ない喜びを与えてくれます。
クレオはその愛の苦難と喜びを知って幸福に微笑んでいるのです。
こんなにも素晴らしい映画作品が作られるということに驚きます。
神が与えたもうたのか、とさえ言いたくなるほどです。
キュアロン監督自身の物語でもあるからこそ、こんなにも感覚的な映像ができるのでしょう。
映像から感じられる光と影そして音。
今まで見て来た数々の映画作品の中でもこれほど美しいと思うものはありませんでした。