ガエル記

散策

『兵馬地獄旅』一巻 横山光輝

おもしろくて一気に読んでしまいました。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

冒頭、気ままに一人旅をする兵馬が旅の坊さんといういで立ちの数人から襲われ激しい戦いとなる。

 

これは常々思っている横山光輝氏の「白土三平リスペクト」というのか「白土三平凄いけど俺ならこう描く」という意識を感じてしまう。

上の画像を見ても兵馬が少しおかしな短いスカートになってるのもミニスカートカムイを意識してではないだろうか。さすがにこの年齢でミニスカートはやばかったのだろう。

しかも本編に入るとしっかりズボン姿になってる。

こ、こっちが落ち着くよ

どうやら兵馬も抜け忍であるらしい。

追っ手との戦いで負傷した兵馬は岩にもたれ座りこんでいた。

そこへ若い女が通りかかり血を流している兵馬を気遣い手当てをした方がいいと言って自分の家まで彼を連れていく。

すぐに出ていこうとする兵馬を止めて女は酒を勧める。

自分でも飲んでみせた女につられ兵馬も酒を飲む。

こういう横顔がカッコいいのだよな

横山光輝の男女の性愛場面はいつも判で押したようにこの構図。他の行動は非常に丹念に細かく描く作家だがこのシーンはこれでわかるだろうという投げやりさが潔い。

獣のように求めあってるとは思えないよね。

つまりこういう「火をつける」場面はやたらと細かい。先生楽しんでる。

 

こうして兵馬は行く先々で女を餌にした罠をかけられては騙され殺される寸前となりながらも切り抜けていくのだ。

 

抜け忍の悲哀ただよう

スカート中途半端なんだよなあ。でも長くしてしまうとそれもおかしいし。

(すみません。兵馬自体は凄くかっこよくて好きなんですよ)

 

さてここからこの兵馬が何故逃げているのかの説明が少しずつ語られる。

 

なんと追っ手は服部半蔵だった。服部家は取り潰しとなり再興を謀っているのだがその取り潰しの契機となった兵馬を執拗に追って殺さねば気が済まぬらしい。

そこで妖斎率いる一族に服部家再興が成れば配下に加えようという条件で兵馬を追わせているのだった。

 

兵馬という男は生まれながら「不死身」と呼ばれるほどの体力を持っていたという。貧農の家に生まれた彼は間引きされ土中に埋められたが泣き止まず先代半蔵に拾われ厳しい修行にも耐え抜き伊賀一と言われる忍者となったのだ。

(この経緯は『闇の土鬼』と同じだ)

傷ついた動物を可愛がるのも抜け忍の特徴か。

しかしあっさり死なせてしまうのがカムイと違うところ。

そしてやっぱりズボンはいた。

この時期横山マンガに特徴的なこの三白眼が好きでたまらない。

曹操目というのかなあ。

 

一巻の後半で時間が戻り兵馬と半蔵の確執が描かれていく。

 

服部半蔵」という名前は服部家に受け継がれていくものだった。先代の服部半蔵正成は大きな戦果を上げ名を知らしめた。そして本能寺の変後、伊賀甲賀の忍びの者を集めて逃げ落ちる徳川家康を守り危機を救った。この手柄で家康は半蔵に八千石を与えて功を労ったのだ。

この偉大な先代半蔵が亡くなり跡を継いだのが三代目服部半蔵正就だった。

ちなみに『伊賀の影丸』での半蔵は五代目となる。

本作では先代の服部半蔵二代目正成が名君であり伊賀者たちから父とも崇められその葬儀において棺を担げない者は白糸を結びその端を握って列をなす異様な光景と見えるほどだったと描かれる。

が、その後を継いだ三代目半蔵正就は冷酷で残忍な男で部下の些細な間違いにも激しく打ちのめし夜な夜な辻斬りをして楽しむ悪癖があった。

しかも半蔵正就は兵馬の許婚を手籠めにし自害に追い込んでしまう。

こっちの正就の方がより曹操目だけど。

曹操目に引きずられたのか(違うか)

この時の兵馬は劉備風。

許婚を死に追いやったのは半蔵正就の色欲のせいだと兵馬は察した。

兵馬にはっきりと殺気が宿る。栄光ある服部家の没落はこの時から始まった。

 

この時の兵馬はロングスカート(しつこい)

これなら落ち着いて見られるのだけども。

 

正就は兵馬が復讐をしていると考え彼を見張らせるが兵馬はその忍者に眠り薬を嗅がせて自分は正就に変装し夜歩きをする正就と出会うという計略を実行する。

 

眠らされた忍者は正就の仕打ちを怖れ「兵馬はずっと眠っていました」と虚偽の報告をした。

くくく。おもしろい。

 

部下たちが皆反抗的だと苛立つ正就は橋の修理をさせたばかりなのに今度は道の修理をせよと無理難題を部下たちに命じる。

部下たちは自分らの扶持から修理代を捻出しなければならない。きっと泣きながら土下座して謝りにくるだろうと正就は踏んでいた。

 

が伊賀者たちは集まり談議した。

兵馬は「殿には恩義はない。恩があるのは大半蔵様だ」と発言し「主を変わっていただく」と言い出した。

一揆の首謀者はただではすまぬ」と怖れる皆に兵馬は「首謀者には俺がなってよい。一揆を起こせばその大名も責任を取らされる」と言い切った。

 

半蔵正就の家にいる者以外全員の一揆だった。

「御公儀にたてつかねばうまくいく」というのが兵馬の考えだった。

そしてその思惑通りに事は運んだ。

大目付は伊賀者の一揆と聞いて使者をつかって半蔵を呼び出したが正就は部下たちの怪しげな行動に恐れをなして「登城をすれば襲われる」と怯えた。

使者は半蔵を小心者と見て不快を感じる。

続いて使者は寺に籠る一揆の伊賀者に解散を命じた。

心得ていた兵馬は「ご使者の言葉に従おう」としてあっという間に解散をした。

これに使者は潔さを感じた。

 

これで半蔵正就は解任されたのだ。

首謀者である兵馬は死罪と決まったが牢から抜け出した。

 

ここに徳川家康の片腕として強大な権力を持っていた服部家は没落した。

半蔵正就が激しい憎しみで兵馬の命を狙うのはそれがためであった。

 

続く。