ガエル記

散策

『三国志』再び 横山光輝 四十二巻 新魏王

 

 


ネタバレしますのでご注意を。

 

 

曹操には四人の息子がおり長男曹丕は平凡な人物であり次男の曹彰は勇猛だが世を治める才能がなく三男曹植曹操が一番かわいがった子であったがあまりにも文化的な繊細さを持ちすぎていた。四男曹熊は病弱であった。

すでに長男曹丕が正式に王位につく儀式を終えたものの曹丕は王位継承に対しての不安があった。

次男曹彰が十万の兵を率いてきた時は賈逵が曹彰を出迎えた。曹彰は兄・曹丕と手を取り合って父の死を悼み率いてきた十万の兵を曹丕に引き渡して帰っていった。

三男四男は父の葬儀にも新王の即位の儀式にも姿を現さず疑念を持たれた。

四男曹熊は病気のためだったのだが気弱になっていたために自害した。

三男曹植曹丕の使者を追い返したため曹丕は怒り許褚に命じて曹植を捕えさせた。

母の嘆願で三男曹植は命は長らえたものの曹丕の怒りと疑念は収まらず本当に詩作の才能をもっているのかという試験が行われる。

それが上にあげた画像である。

七歩歩む間に見事な詩を作り上げてもなお怪しんだ曹丕だったが即答せよという無茶ぶりの「兄弟」という題で歌ったのが上の詩であった。

この詩に心動かされた曹丕は約束を守って弟曹植を許すこととした。

 

さて蜀の漢中王玄徳にも「曹操の死」の報は入った。

玄徳は重臣たちを呼び集めた。

「まずは呉の孫権を征伐し関羽の無念をはらし転じて驕れる魏を討とうと思う」

これに廖化は「まず関羽将軍を敵に討たせることになった味方の劉封孟達のふたりの処分を」と意見した。

玄徳は賛同したが孔明が「ふたりを別々にし別れて赴任させたのちに捕らえること」を提案した。

これを聞いた彭義は孟達にこのことを知らせようと使者を出した。

ところがこの使者は慣れぬ仕事に怯え門外に出るだけでも異常な気配を気取られてしまったのである。