1975年「花とゆめ」10・11合併号~12号
うって変わってこちらは大好きな作品です。そしてこちらは『半神』を思い出しました。
ネタバレします。
萩尾作品で何度も繰り返し描かれる双子(もしくは三つ子)の話の一つ、だがこの話はほんとうに双子の話なのだろうか。
本作の主人公ルカは未熟児で生まれた時に双子の弟アロイスは死んでしまった、ということをどういう経緯で知らされたのか、この作品の中では描かれていない。
アロイスがもしほんとうにルカの中にいるのならルカがまったくの赤ん坊の時期にアロイスがルカに話しかける、という場面がマンガで描かれるはずだし、べきだが、その場面はない。
ただもう14歳になったルカが「ぼくたちは14年間ずっとこうしてやってきたね」と私たち読者に説明するだけなのだ。
ルカの母親の様子からしてアロイスの存在は幼い頃からずっと自然に知らされてきたのだろう。
アロイスの墓はすぐ近くに作られており母親は当たり前のようにルカをつれてそこへ行っただろうし家族親戚の間でもアロイスの話が禁句にはなっていない。
ルカはアロイスという死んだ弟がいることを自然と知って自然と考えるようになり妄想するようになっていった。それは自分だけが生き残ったという自責、憐憫、謝罪の気持ちが関係しているはずだ。
「死んでいたのは自分のほうだったかもしれない」という恐怖でもあったと思う。
この思いは『半神』の中にも登場する。
こちらは女性のしかも結合双生児の話であった。ふたりを切り離す手術を受けた主人公は死んでいくもう一人を見つめ「あれはわたしではないか」と考えるのだ。
違うのは『半神』が二つの身体(ボディ)を持つのに対し本作は身体はひとつなのに魂が二つある、と信じてしまっていることだ。
ここで「いや!アロイスはいますよ!」という論をお持ちの方とは話が平行線をたどるので話ができない、といいたいところだがそういう私はハインラインの『悪徳なんかこわくない』が大好きなのは何故だと責められるだろう。
それでは『悪徳なんかこわくない』は果たしてひとりなのか、ふたりなのか。三人なのか。
この話は最高にエロチックな美女の身体に高齢男性の脳を移植したらなんとその身体(頭というべきか)には元の持ち主の美女の意識(魂というべきか)が残っていて爺様と美女は美女の身体を動かしながらずっと会話していくという話なのだがこちらでは私は「これは爺様の意識が自分の中に美女の意識を作り出したのである」などとは思わずずっと二人の会話として楽しんだのである。
まあそれくらいのものだ。
しかし!
本作『アロイス』においてはアロイスはルカが作り出したもうひとつの人格であると作者氏が次の言葉で書かれている。
意識下において存在は多様となります。深層を探るうちこれは他人かと思えるほどの自己を発見してぎょっとなります。
しかしそれも本人であることにかわりません。
人は実に多様な個こを自分の中に持っております。
しばしそれは夢にあらわれます。
アロイスはルカの深層から生まれてきたもうひとりの自分なのだ。
(ということは誰でもそう思ってるから書かなくてもいいことだったらすみません)
物語の終りでルカの身体は完全にアロイスのものになってしまう。
ルカの魂は死にアロイスは彼を乗っ取ったのだ。
とはいえ?
たぶんもう少しすれば今度はアロイスの意識の下からルカが出てくるのだろう。
そして今度はルカがその身体を奪おうとする。
その後はもうルカとアロイスの戦いになるのだがマンガ的にはコメディにしようかシリアスで描くか。
『アロイス』どこまでも想像させられる。