ガエル記

散策

『ヴィオリータ』萩尾望都

1975年「JOTOMO」12月号

これも美しい女性、少女に翻弄される男の物語、というかその集大成というべき作品なのでしょうか。

 

 

ネタバレします。

 

冒頭老人として登場するヨハンという名の男が少年期に戻り或いは青年期に成長しまた赤ん坊に戻りながら絶えず『ヴィオリータ』という名の美しい少女・女性の姿を追い求めていくという仕組みの幻想的な作品。

 

萩尾望都は初期からずっと魅惑的な少女が少年の心をかき乱していく、という物語を描き続けているが、このことを評論家諸氏はどう解釈しているのだろうか。

この作品はこれらの作品を明確に言葉として表現している。

女性作家が「女性を引き付ける男性」を描くのなら当然として「男性を引き付ける女性」を描き続けてきたこと、そしてその女性像が「男の手から逃げ続けるエロチックな可愛らしさを持つ美しい少女」として描き続けてきたことに対してどう考えるべきなのか。

むろん萩尾氏は「男性を惑わす女性性」とはこういうものだと考えているのだろう。

飯を作る(男の世話をする)子供を生む、という実質的なことよりも性的欲望によって男性は女性を求めている、と認識しているのだと思う。

それが正解なのかどうか私にはわからないが私もまたそう思っているところがあってだからこそ萩尾望都読者であるのだ。