『青天を衝け』ツボなエピソードが多くて楽しいです。
鎖国状態だった日本に異国人が入り込み、さらに江戸時代に固定されていた身分制度が崩れ始めていく。
百姓でありながら商売人でもある栄一の家。さらには勉学をし剣術も叩き込んでいく。
武士である慶喜は定められた結婚をするしかないが農民には若干の自由があるわけです。
栄一と慶喜のパートが入れ替わり語られていくのが私にはちょうど良い。
このタイプの構成を嫌う人もいますが私はすぐ退屈してしまうので短い話が入れ替わるのがとても合っているのです。
違う時代の映画やドラマを観ていると余計に現在と比較してしまうのですが今の日本社会もちょうどこの過渡期に似ているような気がして仕方ありません。
到来したのは「黒船」ではなく「新型コロナウィルス」というお方です。
「黒船」異国人の到来で日本は大きく変わらざるを得なかった。それを望むもの(栄一ら民衆)もいたわけです。
さて「新型コロナウィルス」の到来は日本社会をどこまで変えてくれるのか。などというといけないのか。どう変わってどう変えていくべきか。
現在日本政府の無能ぶり、今までに凝り固まってしまったために骨の髄まで無能化してしまった政府を私たちは変えていかねばなりません。
江戸幕府そうした思いから倒れました。
日本政府は変わらねばならないのです。
今でも「尊王」の意志だけはあまり揺るがない日本人です。実を言えば私もかなり尊皇派です。しかし尊王でいることはご本人たちにとってはどうなのか、という気持ちはあります。ご本人たちがもし人権を求められ自由になりたいという意思を表明されるならすぐにでも尊皇でなくなろうという気持ちはあります。そして多分そうなった方が良いと思っています。
問題は結局「攘夷派」と「開国派」です。
今で言っても「攘夷派」はほとんど変わらない「ネトウヨ」そのものです。
「開国派」もそんなには変わらないでしょうか。世界の中で日本がどう生きていくか、を考える派です。
検索していると
「当時今の様にネットがあれば異国人の脅威を知って攘夷派はいなかったのではないでしょうか」
と書かれていたのですが、現在のネット社会でトランプまで支持して騒いでいるネトウヨ連を見ているとそうは思えないしむしろネット社会のほうが余計に「攘夷」しているのではないでしょうか。
とはいえ攘夷派の行動を見ているのはなかなか面白く、「青天を衝け」でも非常に興味深く描かれています。
この奇妙な熱量はやはり人間の本質なのかもしれません。
が、それでも私たちはどうすればいいのかを深く考えていかねばなりません。
『青天を衝け』は良い道標となってくれそうです。