ガエル記

散策

『ある少年の告白』ジョエル・エドガートン

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映画には大まかにふたつの種類があってひとつは個々人の精神を表現するもの、もうひとつは実際存在する事象を良きにつけ悪しきにつけ報道する形のもの、と言えるのではないでしょうか。

 

例えば先日観た『魂のゆくえ』は社会を描きながらも本質は個人の精神の表現なのですが、本作はひとりの少年の告白というよりも社会の在り方に疑問を投じているのです。

 

ネタバレです。ご注意を。

 

 

実直な牧師の家庭に生まれ育ったジャレッドは同性愛矯正施設に通うことになります。

そこで彼が経験したプログラムは彼の心を強く傷つけていきます。

かつて聞いたような電気ショックだの暴力だの薬品投与などはありませんがそれでも同性愛という異常とは言えない性指向を矯正しなければならない、という施設そのものの在り方に問題があるわけです。

このような同性愛矯正施設というものがアメリカ国内には数多く存在し70万人以上がこうした同性愛矯正を経験したというのです。

 

本作は実在する人物の経験談を映像化したものということでもあります。

上にあげた「人間の心象を掘り下げていく映画」ではなく「実在する事象を訴えていく映画」になるわけです。

なので映画の進行やラストは心象を表現していく映画とは違いあまりにも当たり前に正統派すぎているようにも思えてしまうのですが現実を訴える形の作品はこうしたものかもしれません。

 

かつて同性愛を描いた映画は逃げ場も受容してくれる人もないままラストが主人公の自殺という形で社会に是非を問うのが定番で虚しさがあったのですが、今は主人公が自分自身の性を自認し両親のほうが変わらねばならないと目覚める話にまでなってきました。

実際にはまだまだすべてのひとがそうなれるわけではないのですが(だからこそ今でも矯正施設が多々あるわけです)この映画はそうした人々もこの両親のように子供の気持ちを受け入れて欲しいという願いのもとに作られたのでしょう。

 

それにしても施設長でもっとも嫌悪すべき男の役を監督自身が演じているというのは驚きでした。

尚且つ現実のその人物がその後同性愛者としてパートナーと共に生活しています、というラストの解説に唖然。そういうことでしたね。

 

同性愛映画を長らく観てきた者としては「やっとこの段階にきたか」という感じですが、逆にこの段階にまで来られたことにも驚きます。以前はアメリカ映画でこういう作品ができるとは思いもよりませんでした。

 

かつて観てきた悲しいラストの映画たちにこうした映画ができるようになったよと見せてあげたいものです。