ガエル記

散策

未来への歌 のりきってしまえ

頭を抱える問題、胸を痛める事件、気持ちが重くふさぎこれ以上進んで行けるのだろうかと考えずにはいられない日々が続きます。

むしろ痛みを無くしてしまった子供たちのように何も感じることのないように目を閉ざし耳を塞ぎものを言わずに日々を送ってしまえばとも思うのですが、そうなりたくない自分がいることだけが希望なのでしょうか。

 

女性としては特に痴漢などを含む性暴力の問題、なかなか進むことのない男女差別の問題、少子化問題、育児に関する問題などそして家族内や学校内での暴力・虐待問題とそれに関する事件を知るとどうしようもなくため息をつくしかないのですね。

ずっと昔からこうした問題は訴えられ続けてきたのに改善していくどころか悪くなっていくようにすら思えてしかたないのです。

行先がわからぬままとりあえず旅人が良い方向へ行こうとすると何者かが現れて違う方向を指さし「あちらの方が良い」と言う。しかしその道の先はいけばいくほど細くなりついに行き止まるしかない。複雑な袋小路をうろうろと歩き続けているかのように思えてなりません。

 そんな悔しさを噛みしめるしかない時のなかでも少しずつ「そうじゃない」「助けたい」と声を上げるひとを見つけると少しだけまだ大丈夫なのじゃないのかと思ってしまうのです。

 

今はもうぐじゃぐじゃでこれ以上腐りきることはないんじゃないかとさえ思ってしまうのですが、迷い道から抜け出すことを考えようとしている人たちも大勢いると信じたいのです。

 

先日の怖ろしい殺傷事件の後、犯人に「一人で死ねばいい」という声が多く上がった後で「犯人が犯行を起こす前に助ける方法があればよかった」という声があることは希望です。

多くの男性が痴漢に襲われた女性を無視もしくは逆に「冤罪じゃないか」と反論する中で走って逃げる痴漢と思しき男に足を出してひっかけ倒したくれた中年男性は救いでした。

ネットではあらゆることで罵詈雑言がとびかっていますが「もっと優しい気持ちを持とう」と呼びかける人たちも多くいます。

 

政府や年配ほど隣国に異常な嫌悪感を持つ中で率直に好意を持つ若者がいるということ、争いを選ぶのではなくいかにして仲良くできるかを模索するほうが良いに決まっているではないですか。

 

楽しいのは音楽や文学やアニメやマンガで交流を深めていくことに決まっています。

 

さまざまなことが未解決でどう収束していくのか、歓喜の声をあげるような幸福な決着があるのか、それは誰にもわかりませんが、私はどうしても「今が一番酷い時で私たちは考えてこの酷い場所からきっと逃げのびることができる」と信じたい気持ちがあります。

 

ちょうどさっきこんな短歌を読むことができました。

 

「干からびたカエルをよけてすすみゆくばいばい、わたしは夏をのりきる」

 


www.asahi.com

 

なんかね。

若い人が詠む歌には力がありますね。

 

よしこれで行こう!

 

ぐじぐじ悩み続けていますが、こんな力で振り切っていきたいものです。