ガエル記

散策

『フォレスト・ガンプ』ロバート・ゼメキス

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映画の記事を書く時は邦題を記していますし、その時は副題まで書くのがほとんどですが、本作の副題だけはあまりにも馬鹿々々しくてつける気になりませんし、そもそも私は「一期一会」という言葉に嫌悪しかないうえに本作の内容に「一期一会」的ななにかがどこにあるのか疑問です。

 

ネタバレです。ご注意を。

 

 

 

 

タイトルで憤慨するのも余計な体力消耗な気がしますね。邦題には不満ですが映画自体は素晴らしいものだと思います。

フォレスト・ガンプ』を語ろうとすると再び口を抑えられてしまいそうになります。

この映画は主人公フォレスト・ガンプアメリカを走り抜けていく話でその折ごとに実際に起きた歴史事件を絡ませガンプの姿がそこに混ぜ込まれる、という非常に面白い演出をしていくのですが、当時アメリカ中で行われていた「公民権運動」がまったく描かれていないイコールゼメキス監督は黒人の歴史をおろそかにしている、という論がねじこまれてくるからです。

私にはゼメキス監督の思想はわかりません。別の作品までも取り出してきて彼の作品は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』しかりホワイトウォッシュすぎる、ということらしいのですが私としてはほぼすべてのアメリカ白人製作の映画は白人中心としか思えません。主人公は白人ですし、黒人は必ず三番手くらいの友人で早めにいなくなったりするわけです。本作では黒人出演者が多いほうだと思えますし、特にベトナムで一緒になったババは親友という役で後に共同経営者として名前を使うまでになりますけど白人である小隊長のようにガンプに深く影響を与えていくわけではない表面的な存在としてしか存在していません。ただ私が観て来た多くのアメリカ映画で白人の主人公にとって黒人の存在は同じようなものでした。

日本映画の中なら洋の東西を問わず外国人が日本人主人公に深くコミットしてくるものを観た記憶がありません。題材としては登場してもこうした人種の違い、という感覚を完全に平等にしていくのがどんなに難しいことかと思いさらされてしまいます。

それでも「公民権運動」の問題は別かもしれませんが、ゼメキス監督はこの映画においてそれを重要視しなかった、そういう思想の持ち主であり、その映画だとして観るしかありません。

それにもともとフォレスト・ガンプの名前はアメリカ最大の差別主義者KKK創始者フォレストから名付けたと彼の母親が言っています。「人間はそんな愚かなことをするものだということを忘れてはいけない」という母親の気持ちだったのですからそれでいいのではないのでしょうか。

 

また純朴な青年フォレスト・ガンプがまさにアメリカを象徴するような人生ーアメフトで大学の英雄となり兵士としてベトナム戦争へ行き英雄となり船を買って船長として働き一大企業主となってアメリカンドリームを達成する、大金持ちになる、という人生を歩む反面彼が愛した女性・ジェニーは真逆のアメリカの暗黒面=貧乏で家庭内虐待を受けて育ち反政府思考のヒッピーの仲間になり(なんどとなくガンプが救い出そうとしても戻っていく)フリーセックスと麻薬に溺れ、暴力をふるう男性と離れきれずにいる、といった生活を送るうちに体を蝕まれウィルス感染によって病気となりずっと断り続けてきたガンプとの結婚を自ら求めるがすぐに寝込み死んでしまう、という人生を与えられることになります。

このガンプとジェニーの相反的な人生はアメリカの光と闇であり保守的な生き方を全うしたガンプには成功が、革新的な生き方をしたジェニーには病死=敗北が、という図式なるのはあまりに短絡的だ、という意見もあるのですがそれをいうならフォレスト・ガンプは幼い時から現在に至るまでずっと革新的思考の彼女だけを愛し続けてきたのであり他の誰にも少しも浮気することなく思い続けてきたのはどういうメタファーになるのだと言いたいわけです。

 

つまりふたりをアメリカそのものであるとするならそのとおりなのであり、保守ガンプは常に革新ジェニーを慕い求め革新ジェニーはガンプに感心しながらもこのままではいけない、とそのまま幸福に落ち着くことを振り払って彼の腕から飛び出し自由と自立を目指して生き抜いてきたわけです。そして二人の間にはいつしか子供が生まれ美しく立派に育っているわけですから保守と革新は力を合わせて共にアメリカのために存続し革新が失敗しても新たなる革新が生まれ育つのだよという物語になっているわけではありませんか。

すこし知恵は足りないが愛を持ちまっすぐに生きる保守ガンプと何度も失敗し失敗していく革新ジェニーは愛し合ってこそ素晴らしい国作りができる、という建国映画に他ならないのです。

 

そして私が昨今になく涙してしまったのはフォレスト・ガンプのジェニーへの愛でありました。

レビューではジェニーのことをとんでもないクソ女だという罵声が飛んでいるようです。まあ彼女の行動は前に書いたようにアメリカの闇の擬人化なので仕方ないわけですがこうした日本人(特に日本男性の)「愛せる価値のない女はクソだ」という見識を見ると日本に愛の物語がまったくないのは当然だよなといつも思います。日本人が褒める愛する価値のある女性とは清潔感のある美しい容姿を持ち頭がよく品行方正な女性に限るようで、そこから少しでもずれた女は愛される資格はないようです。男性に対してはこのような「愛される資格認定」はないようですが映画でこの規範からずれる女性が登場するたびに日本人レビューは罵倒となり自己犠牲に満ちた女性には「天使だ女神だ」の賛辞になるのです。

そもそもガンプがジェニーを好きになったのは他の誰もが冷たかった時ひとりだけ手を差し伸べてくれた優しさがあったからです。彼はその一つの思い出だけで彼女を永遠に愛すると決めたわけです。

その優しさを持った女性をクソ呼ばわりすること自体がクソです。これはガンプ流発言。

彼女が何度も彼のもとを去ったのは自分が彼にふさわしくないという考えとともに金持ちになった彼に頼るのではなく自分で働いて自立できるのだと見せたかったからですし、そうした彼女のやり方に私は感心しました。

 

それでもこの映画はもしかしたら完璧ではないかもしれませんが、やはりとても良い映画だと私は改めて思いました。

考え続け失敗し続けたジェニーが最後にフォレスト・ガンプを頼り彼の元へ帰ったのは良い選択でした。彼の子供が生めたのも素晴らしい運命でした。

 

人生は辛いことばかりですが、小さな幸福を摘み取ることはできるかもしれません。