ガエル記

散策

『ロリータ』エイドリアン・ライン

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キューブリック作品も一緒に観たかったのですが、アマプラ無料はこちらだけだったのでキューブッリク・ロリータはまた別の機会に。

 

原作のナボコフ『ロリータ』は愛読書と言ってよいほど読み返していて再読リストの上位にある小説であります。

そういう者にとって特に『ロリータ』というような微妙に難しい立ち位置の作品の映像化は最初から疑問に満ちた目で観てしまうのですがやはり思った通りの映画でありました。

 

ナボコフの『ロリータ』という小説は「少女愛」というよりも「女児童愛」という題材を凄まじい知識と語彙を駆使して読者を騙しぬきほくそ笑むことに快感を覚えているような腹立たしいほどふざけたミステリーであると思っているのですが本作映画はそうした知的ゲームの要素が抜き取られてしまい凡庸なロリコンおやじがぶるぶる震えている様を見せつけられてしまうのです。

こんな情けないハンバート・ハンバートは観たくもないではありませんか。彼は狡猾で女児童愛が許されないものだと知りながらだからこそ女児童をレイプし続ける自分を他の男たちとは違う特別な価値意識を持つ優等性を誇っているわけです。

それをこのような情けない小心者として描いているのは「そうしなければ映画化できなかった」のではないかという憶測も煩わしい。

かつ肝心のロリータはこれは当然仕方なく当時17歳というハンバートが許さないであろうニンフェットから外れた年齢の女優を使うしかなくしかも彼女が非常に愛らしい容姿であることは確かとしても12歳で身長150センチそこそこにはとても見えないしこの「大きな女性」をニンフェットだと認定するのだろうか、というのは疑問というより確定なのです。

 

まだ観てはいませんがスチール写真ではキューブリックの『ロリータ』スー・リオンのほうが感じ的には幼く見えますね。

本作ロリータは小柄な女性、としか見えなくて髪型や歯列矯正で児童を演出しているのがなんとなく痛々しい。

実際は若くほっそりとした美人に申し訳ないのですが。

 

そうしたロリータ認定は置いとくとしても本作は悲しい出来栄えだったとしか言えません。

確かに原作に忠実ではあるのかもしれませんが、最初に書いたようにハンバートの一人称によるどうにでも事実を書き換えられる狡猾さはすべてがまやかしかもしれないと思わせてしまうものがありましたがこの映画にはしょぼくれた中年(初老年?)男だから力のない少女に逃げ込んだと受け取られてしまう気がします。

 

とはいえ『ロリータ』を映画化するのは無理に決まっているわけです。150センチそこそこでほっそりした少年のような小さなお尻の女児とセックスし続けるロードムービーを作ることは無理すぎる。

それでも現実を確かめたくなって本作を観、確定しました。

こうなればどうしてもキューブリック『ロリータ』も観ずにはおれません。

もうちょっと先になるでしょうがもうひとりのロリータに会いにいきましょう。