泥沼に入っていく。
ネタバレします。
昭和13年1月
近衛文麿首相が「爾後国民政府を対手とせず」という声明を出す。
後に裕仁はこの声明をどういうつもりで発したのか、と問うが近衛は「私自身南京陥落で浮かれていたのでしょうか。自分でもよくわからず悔やんでいます」と答えた。
近衛首相は山東省にいた板垣征四郎に陸軍大臣として入閣をお願いしたいと伝言する。
石原莞爾は「支那との戦争はもう限界です。日支戦争は無益な戦争であります」と言い殿下もこれに同意した。
新京では東条英機が待っていたが彼もまた近衛首相から呼び出され陸軍次官となる。
秩父宮は一か月間満洲を視察し日本人が威張って好き勝手にふるまっているのを見、〝五族協和”などどこにもないと思案した。
このままでは満洲国は日本の軍閥と官僚の思うがままになってしまう。
あまりにも酷い、と感じた。
関東軍司令部では辻政信が秩父宮のために陸大の同期を集めて歓談した。
辻は殿下に「満洲国は日本の領土にしなければなりません」と言う。しかし宮は「満洲国は独立国として育成し民族協和の理想郷にしなければならない。それが天皇家の心の内だ」と返した。
6月19日、北支那方面軍参謀辻政信はハルハ川付近、満蒙国境で戦っていた。
「ノモンハン事件」と称されるこの地での陰惨な戦いを能條氏は短く鮮烈に描いている。
この箇所の天皇裕仁は何も知らずに憤っている愚かな王としか見えない。
しかし本当に何も知らされず何も知れずにいたのだろう。この地の無意味としか思えない戦いをどうやって想像することができるのだろうか。
特にフイ高地を死守せずに戻ってきたという理由で自決をさせられる井置隊長が何もない草原に机をおいて双眼鏡を持って立っている姿は壮絶と言う言葉すら虚しい。
作家司馬遼太郎はノモンハン事件を小説にしようと取材してそのあまりの空しさに小説は書けず日本人であることが嫌になったと語ったという。
私も本作でこの井置隊長を見てもう読むのが嫌になりそうだ。
日本人は戦争をする資格などないのだ。
「共産主義に対抗する政策の中心としてドイツ国との関係強化に努めて参りました。
欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じました」
昭和14年8月30日阿部信行内閣発足
2日後
9月1日ドイツ軍ポーランド侵攻。
9月3日英・仏、ドイツに宣戦布告
第2次世界大戦が始まる。
しかしこの時点で阿部信行総理兼外相は
「ドイツとの連携は米英との対立激化を招く。
従って日本は第2次世界大戦に介入しない。
内閣は支那事変の解決に邁進する」
とはいえ歴史は知っている。
陸軍軍務局長武藤章は舞鶴要塞司令官をしていた石原莞爾を訪れ「私の対中国強硬路線は間違いでした」と謝る。
「今更言うな」
「中国とのあらゆる和平工作は頓挫し日中戦争はドロ沼状態に陥っている。助言が欲しい」
石原は「先ず東條を排除しろ」と言った。
その東條は陸軍省陸軍次官である。
「支那事変の解決が遅延するのは支那が英米とソ連の支援があるからだ。したがって事変の根本的解決のためには北方に対してはソ連を、南方に対しては英米との戦争を決意せねばならない」
うわあ。全世界を敵にする日本。
マジか。
安倍首相は天皇に総辞職を申し出る。
「農民の出征による農業生産力の低下、西日本ではかつてない干ばつで米不足となり国民の不満が高まったため」
近衛文麿は〝近衛新党”を思索していた。
時期総理は海軍の米内光政。その結果次第だなと目論んでいた。
米内は海軍大臣に、と皆から嘱望されている山本五十六を連合艦隊司令長官とした。
五相会議。
米内首相は「日独伊三国同盟には反対。米英に勝てる見込みはない」とした。
しかし陸軍は三国同盟が必要として米内内閣を潰す行動に出る。
〝軍部大臣現役武官制”を利用して畑陸相に辞表を出させ内閣を破滅させる。
翌日19日、海相吉田善治、次期外相松岡洋右、次期陸相東條英機、近衛文麿私邸、「荻外荘」にて荻窪会談。
西園寺公望は近衛の総理大臣だけは認められないと言ったが結局近衛は総理となり組閣した。
三国同盟は間違いなく米国を敵とする同盟だ。
海軍は米国と戦って勝てる確信はないと言う。
前任の海相吉田善吾は心身ともに疲れ切って辞任。次期海相の及川古四郎は周囲からの圧力に敗け日独伊三国同盟締結を同意した吾
昭和15年(1940年)9月27日
1940年5月15日ナチスドイツに対しオランダ降伏。
5月17日ベルギーの首都ブリュッセル陥落。
6月14日パリ無血占領。
ふたりは同期であった。
吉田は石川大佐から激しく「三国同盟イエスです」(なぜ英語)と迫られ重圧に耐えきれず同意した後、精神を病んだのである。
山本五十六は「内乱では国は滅びない。しかし戦争では国は滅びる。とにかく日米開戦派回避しなければ」と考えていた。