横山光輝『飛猿斬り』この作品を読んで以来、山田一郎(表紙のお人)が頭から離れずこの半年間幕末に入れ込んできました。
以前の記事はこちらです。
これを読んだ時は「天狗党」のなんたるかも知らず山田一郎の苦しみを理解してあげられないのが苦しくてこの半年間彼に近づこうと様々な文献&YouTubeを覗いていました。
横山先生に知られたら苦笑されそうですがこの年齢になっても幕末から明治維新の歴史がまったくわかっていなかったからです。
とりあえず「天狗党」とはなにか、を探ろうとしたのですがこれがまた驚くほど「天狗党」を題材とした小説マンガなどは少なく一番わかりやすそうな山田風太郎『
急がば回れ、でとにかく手当たり次第に幕末のひもを解きまくり現在に至ります。
とはいえ歴史というのはその部分の点だけで成立するのではなくその前の長い歴史がどうなのかという果てしなき探索になっていきます。
長い日本の歴史の中で幕末という一点もまたそれまでの歴史から作られたものでありそれで言えば「幕末の歴史」を知るためにはそれまでの日本各地の歴史もまた知らなければならない。
それを半年で網羅できるわけもないのですが一応自分のこれまでの知識もかき集め半年前よりは少しだけ理解できるようになってきました。
その上で読んだ先日までの『陽だまりの樹』において、かつて読んだ時にほとんど読み取れてなかったものがおおよそわかるまでになっていたことからも成長ぶりを自分自身で感じ取れたものです。
「幕末の歴史は水戸から始まる」というのが今回の私の結論です。
私自身がそうですが「幕末もの」に興味を示すきっかけはおおよそ『新選組』『坂本龍馬』もしくは『西郷隆盛』『高杉晋作』などでしょう。
ところがその辺りをぐるぐると回っていてもよくわからないままなのです。
深く勉強した方は別ですが私のように「長く生きて来たのに幕末よくわかってない」人はその前の時期を描いた『陽だまりの樹』をよく理解するのがおすすめです。
『陽だまりの樹』では幕末のヒーローたる新選組、西郷、高杉、竜馬は終わり頃に登場します。
知るべきはその以前なのです。『陽だまりの樹』は幕末教科書として最適のテキストでしょう。
主人公の伊武谷万二郎は水戸学の藤田東湖を信奉しています。
直接水戸に生まれて水戸学を学んだのではないところがミソなのでしょう。
藤田東湖の回天詩史をそらんじては武士としての気概を感じ入るような男なのです。
三たび死を決して 而も死せず
二十五回 刀水を渡る
五たび閑地を乞うて 閑を得ず
三十九年 七處に徙る
邦家の隆替 偶然に非ず
人生の得失 豈徒爾ならんや
自ら驚く塵垢の 皮膚に盈つるを
猶餘す忠義の 骨髓を填むるを
万二郎は後に水戸へ行き水戸の武士たちと交流しますがそこでは完全な尊王攘夷を示されてしまいその頃ハリスとヒュースケンの護衛をしていた万二郎はむしろ反感を覚えて水戸藩士たちとは袂を分かちます。
しかし後々の万二郎は水戸浪士が行った井伊直弼暗殺を見習ったクーデターを起こそうとするのです。
それは未遂に終わったもののやはり万二郎の行動は藤田東湖水戸学によるものだったという描き方なのでしょう。
さて私的には不思議な現象を感じます。
最初『陽だまりの樹』を先に読んだ私は万二郎にまったく惹かれるものは感じずそのままに終わってしまったのですが、後日『飛猿斬り』というごくごく短い横山光輝の短編を読んで山田一郎の姿に惚れ込んでしまい「いったいこれはどういうことなのか」と半年も悩み続けることになってしまいます。
その答えの一つが『陽だまりの樹』であったわけです。
以前まったくなにも感じなかった『陽だまりの樹』伊武谷万二郎の行動で『飛猿斬り』山田一郎の涙の意味がやっと少しわかり得た気がしています。
もちろん他にもろもろの多くの解説を読み、聞きしたからこその理解なのですが。
超絶かっこいい横山光輝キャラクターからのわかりやすい教科書手塚治虫マンガという流れに妙な納得をしております。
とはいえまだまだ幕末明治維新の歴史旅は終わったわけではなく、よりいっそう深みにはまっていきたいと思っています。