
序章 「増殖するシャーマン」
1 モンゴル・ブリヤートという悲劇
「国民国家(ネーションステート)とは近代が生み出した最大の《呪術》だった。
という文章から始まる。
近代そして現代でもその呪術は解けてはいない。むしろそれは複雑に執拗にからみついている。
さて私がこの分厚い本を読むことにしたのには二つのきっかけからであった。
一つは最近特に聞き(見)続けている「ゆる民俗学ラジオ」の黒川晝車氏による解説である。
これで心が動かされたのは確かだが試し読みした際、序文に司馬遼太郎『草原の記』への言及があったのが決め手となってしまった。
この著書の主人公が”ブリヤート・モンゴル”と聞いた時にはっと気づいてはいたのだが『草原の記』で司馬氏が出会う女性ツェベクマさんがそうであった。
私は司馬遼太郎作品の中で『草原の記』が最も好きだと思っている。
その著書に記されたツェベクマさんが属するブリヤートモンゴルについての著書であり著者が序文でツェベクマさんの名前を出していたとあってはもう読まないわけにはいかなくなってしまったのである。
とはいえこの高価な本を即買いする余裕はなく図書館で取り寄せして読むことにした。
貸出期間は二週間なのでさて読み通せるかどうかである。
途中で体調を崩したりなんらかの事件が起きたりしないことを祈る。
私にとっての手掛かりは「ゆる民俗学」での黒川氏の解説と司馬遼太郎『草原の記』で知ったツェベクマさんへの敬意である。
とはいえいまやっと数ページをめくったところである。
この分厚い本をどこまでめくっていけるものかはわからないが、さあ読んでいこう。
ネタバレします。
序章で著者は「シャーマンが人口の1%に至るほど増え続けている」という不思議な現象を知る。
その人々とはモンゴル系少数集団ブリヤートである。
著者は彼らをモンゴル・ブリヤート人と呼ぶこととする。
彼らは「国境」という境界線をまたがった存在、離散民族(ディアスボラ)である。
彼らは「民族」とされたり「部族」とされたり「外国人」として差別される存在であった。
そもそもぶりやーよ人はシベリアのバイカル湖周辺地域に居住してきた。彼らは狩猟や牧畜を生業としモンゴル語系の言語を話した。
17世紀後期以降、他のモンゴル系諸集団がほとんど清朝に帰属したのに対しブリヤートはロシアに帰属する民として生きることになった。
が、20世紀初頭ロシア革命が起こるとブリヤートが住む南シベリアは赤軍と白軍の激戦地となる。牧畜生活が困難となったブリヤートの一部は現在のモンゴル国領内へ移住した。さらに旧満洲国のバルガ地方(現在中国内モンゴル自治区ハイラル市)まで移動した人々もいた。
こうしてブリヤートはロシア・モンゴル・中国の参加国に分断されて居住する離散の民となったのである。
ここで本書ではモンゴル国内の民主化によってチンギス・ハーンを讃える「チンギス・ナショナリズム」が起こったと書かれる。
チンギス・ハーンの子孫こそが純粋なモンゴル人だと主張するのが2000年時に人口約250万人の80%のハルハ人である。
が、残る20%は少数民族の人々でありモンゴルブリヤートもまたそこに属する。
残念ながらハルハと少数エスニック集団との間には深い溝があることは否めない。
やむなく歴史の中で三か国に離散したブリヤート人はさらに複雑な帰属意識を持たざるを得ない。
あえて言うなら彼らの中にはブリヤート人であってブリヤート人でないと自らも思っている人々が多く含まれているのである。
モンゴル・ブリヤートは1930年代後半にスターリンの意向を受けたモンゴル人民共和国の内務大臣チョイバルサンによって集団虐殺されている。
男性人口の半分が反革命・日本のスパイという理由で逮捕され銃殺刑に処されたのだという。
しかし不思議なことにモンゴル・ブリヤート人はこの悲劇的な虐殺について語ろうとしなかった、というのだ。彼らの記憶はどこへ行ってしまったのか。
ところで従来モンゴル高原の遊牧民たちは不敬系譜をもって自らの帰属を設定してきた。
それがこの大粛清によって男性を失ったブリヤート女性たちはロシア人や中国人あるいはモンゴルの多数派集団であるハルハ人といった「外部」と通婚せざるをえなかった。
父親が非ブリヤート人であるということは彼ら父系系譜原理に基づ解釈によれば「ブリヤート人」として断絶したことを意味する。
つまり粛清は彼らの社会内部に同質性を欠いた混血ブリヤートを多く生み出すこととなったのだ。
ロシア式高等教育を受けたブリヤートたちは他のモンゴル人に妬まれることとなった。
移動牧畜は行うものの毎年同じ場所に宿営して農業を行うという生活習慣も違和感を与えた。
一方ブリヤート人も現在に至るまでハルハ人に対する不信感を抱き続けてきた。
ブリヤート人にとって「粛清は終わていない」のだ。
「外国人」「ロシアからの亡命者」「白軍の生き残り」こう呼ばれるのを怖れて多くのモンゴルブリヤートたちは自らがブリヤート人であることを隠す。
彼らは「モンゴルのユダヤ人」といい習わされてきた。
著者は本書でこのようなモンゴル・ブリヤート人の帰属意識の在り方、を信仰つまりシャーマニズムを切り口に明らかにしていく、と記す。
マイノリティにはイスラム教徒もおり、そしてダルハド人やブリヤート人、トゥバ系トナカイ牧畜民ツァータンなどの間ではシャーマニズムが信仰されている。
仏教が「黄色い宗教」と呼ばれるのに対しシャーマニズムは「黒い宗教」と呼ばれる。
この「黒」という語には「野卑で不文」「荒ぶる宗教」といったニュアンスがある。
ブリヤートのシャーマンたちはモンゴル国内では「黄色いシャーマン」と呼ばれることが多い。これは仏教との融合形態が認められるからである。
1999年夏、筆者は通訳としてたまたまモンゴルブリヤートの居住地域に足を踏み入れた。そこで目にしたのはシャーマンが不自然なくらい多いという現象であった。
調べてみると社会主義によって宗教が否定されてきたにもかかわらずその地域においては10年ほどの間にシャーマンが人口の1%に至るまでに増殖していたのである。
1990年を前後して社会主義体制が崩壊したがモンゴル・ブリヤートが帰属した宗教は仏教ではなくシャーマニズムであった。
戸数にして30軒に1軒がシャーマンであるという状況である。
本書で中心に扱うのはモンゴル国ドルノド県に居住する「アガ・ブリヤート」と自称する人々である。
そしてこの「アガ・ブリヤート」というのが冒頭でわたしが本書を読む決意をさせたツェベクマさんの属する人々なのである。
2 シャーマン増殖現象
「最近はどこの家に行ってもシャーマンがいる」
1999年8月モンゴル国東部ドルノド県の大草原地帯。バヤンオール郡という首都ウランバートルからおよそ600kmの場所である。
国境に近く北に数十キロ行けばロシアに接する。
東に200km進めば中国内モンゴルへと入る。
いわば東の果てである。
筆者は彼らの乳製品文化に興味を持った微生物学者の通訳として同行したのだ。
乳製品の調査のため遊牧民のゲルをランダムに選択してジープを走らせた微生物学者と通訳である筆者は偶然に訪れたゲルの一つで奇妙なマントや帽子、革張りの大きな手太鼓が奥の壁に掲げられているのを見る。
その家の老婆はシャーマンであった。二年前にシャーマンになったのだという。
噂は少し大げさではあったものの多くの遊牧民、トラクター運転手、教師やかつての人民革命党党員までもがシャーマンになっているという情報を得る。
この不思議な《シャーマン増殖現象》にとり憑かれた筆者は乳製品調査を終え帰国するとモンゴル国内ブリヤート人におけるシャーマニズムの調査を開始する。
2000年5月、筆者は再びドルノド県アガ・ブリヤート人居住地域に戻る。
彼らのシャーマンには「黒」「白」の二種類がある。
《黒のシャーマン》とは現地では「ボー」女性は「オトガン」と呼ばれ憑霊を専門に扱う。
一方、《白のシャーマン》は「バリアーシ」と呼ばれ憑霊も行うものの主な職掌は呪術的なマッサージと骨接ぎである。
また「シャーマン」の呪術道具を製作する「ドルリグを持つ者と呼ばれる人々がいることもわかった。彼らは鉄鍛冶職人だが宗教的な諸儀礼をおこなう《呪術的鉄鍛冶職人》である。
民主化以降の10年ほどの間にブリヤート人が人口の大半を占めるドルノド県北部の四郡で120人近くのシャーマンと呪術的鉄鍛冶職人が誕生したことになる。
調査当時の四郡の人口は14789人、やはり1%近くがシャーマンになっていると言ってよい。
この増殖は計画的なものではなく細胞分裂するが如く自律的に増殖している。
シャーマンには境界や寺院などはなく増殖方法もゲリラ的であると記される。
さらに不思議なのはモンゴルに移住してくるアガ・ブリヤートの人々は殆どが仏教徒だったのである。
とはいえシャーマニズムが必ずしも仏教と対立する存在であったわけではない。
現在のアガ・ブリヤートのシャーマニズムは多分に仏教と融合したシャーマニズムなのである。
シャーマン増殖現象は伝統の復活ではなく活性化としてとらえられる。
アガ・ブリヤートの人々は自分の家に仏像や経典を持っているがシャーマンのところにも相談に行く。
仏教とシャーマニズムは共存しているのである。
(これは日本における仏教と神道の共存があるのでなんら違和感はないな)
(なんかあったらお祓いするしな)
ここでいきなり結論が述べられる。
問「なぜシャーマンが次々と誕生しているのか?」
答「彼らは自分がいったい誰かを知らなくてはならなかったからだ」
具体的にいうならば自分の親先祖といったルーツを探すことで失われた自らのアイデンティティを構築しなおそうとしているのである。
このルーツのことを彼らは《オグ》という。
ところが父系系譜によって成立していた彼らのルーツは歴史の大粛清によって断ち切られてしまった。女性たちは他の民族との間に子を成すしかなかった。
この切断されたルーツを仏教は回復してくれない。
しかしシャーマンはルーツを探してくれるのである。
たとえ中国人の子であろうとハルハ人の子であろうと欲するブリヤート人のルーツを探してくれる。
シャーマニズムは本質的に文化変容を引き起こす装置であるといえる。したがってシャーマニズムにとって人類学における本質的主義批判は無縁である。
本書では「伝統」の真否を問うというよりも、むしろモンゴルブリヤートたちはシャーマニズムによっていかにしてエステニティを再構築しているのか、という問題に向かっていく。
彼らの帰属性や民族性を再構築していく、に加えて彼らがどのような帰属意識を生み出していくのか、その重なりと差異の位相を明らかにしていく、のが本書である。