続きです。
前回に続きヤマザキマリ氏が語る『半神』と『イグアナの娘』どちらも深い考察で納得でした。
『半神』はリアルタイムで読んで衝撃を受けただけでなく野田秀樹の舞台も観たという私としては珍しい体験をしています。
初めて観た夢の遊眠社の舞台に感激しましたがその後も繰り返しこの戯曲が様々な形で演じられているという話にも感激でした。
前回書いた「萩尾望都をもっと勉強してほしい」を舞台では実行されたということですね。
『半神』マンガ自体はわずか16ページという恐ろしいほどの短さですがそのマンガがこれほど人々の心を動かしてしまい打ちのめしてしまうというのはいったいどういうことなのでしょうか。
結合双生児という描き難い題材を扱いながらこの物語を読んでテーマをつかめず勘違いする人はあまりいないのではないでしょうか。
この作品は短いゆえにまさしく考えるためのテキストにぴったりのものだと思えます。
一方『イグアナの娘』は私がマンガから遠ざかっていた時に描かれた作品でかなり後になってから読みました。
コメディタッチのおかげもあって楽しく読めてしまうのですがやはり考えさせられる一遍です。
母親から嫌われている娘という題材を「今は毒親という言葉があるがこの頃はまだ珍しく」というような説明がよくされるのですが「そうだっけ?」とちょっと驚いてしまいました。
『にんじん』は母と息子だから違うのかな。
私は萩尾望都マンガで親から嫌われる子供、という設定が多いことをあまり気にしていませんでした。
自分としては「親から嫌われている」ことがそれほどぎょっとすることではなく物語として当然のように思っていたふしがあります。
私自身がそれほどひどくはないのですが両親とべたべたではなかったと思っていたからかもしれません。
逆に私にとっては萩尾マンガのそういう「親から愛されていない子供」が主人公であることが心地よかったのかもしれません。
『ポーチで少女が小犬と』も凄い切れ味でした。