最終巻です。
ネタバレします。
美しく気高いマルゴは最期までアイデンティティを失わなかった。
自我を持ち続けた女性だった。
彼女は母后カトリーヌに厳しく躾けられ母を怖れ続けた女性で、だからこそ萩尾望都はマルゴを描いたと思われるのだが作者自身の成長のためか、マルゴは母を嫌悪しながらも上手く回避し時には逆らって行動していく。
以前の萩尾マンガにおける母親にはなんの対処もできないままの主人公とは大きく違うのが今回読みなおして感じたことだった。
母后は政略に子供たち、むろんマルゴも使っていき場合によっては死へ導く場合もあるのだがマルゴ自身は「そういう人だから」とため息しつつ開き直っている。この強さを萩尾望都主人公が最初から持っていればと思ったりもする。
つまり『王妃マルゴ』は萩尾望都がマンガ作品の中でも常に母からの威圧感そしてそれへの恐怖憎悪を持ちつつもあきらめることができた作品として描かれたのだと今回初めて理解できた。
なにしろあの強烈な母后カトリーヌ・ド・メディシスを相手にして豪胆に生きていった娘マルゴなのだ。
彼女はほんとうに最後まで男性たちを性愛で翻弄し続けていく。
その姿は貞淑で清廉な女性を好む日本の(いや世界中かもしれないが)読者層には一般受けしないかもしれないがマルゴの奔放さは作者萩尾望都の「自由に生きたい」という思いの具現化なのだ。
萩尾望都の「親に疎まれ続けたマンガを描く」という事柄がマルゴによって「(母)親に疎まれ続けた性愛を求めていく」という形で表現されているのである。
奇妙な比喩に思われるが萩尾望都にとって「マンガを描く」というのはそれほどエロチックなことだったのではないだろうか。
なのでマルゴはやめることなく性愛を求め続けていくのだ。
年をとっても周囲の者たちが驚くほど彼女は美しさセクシーさにあふれている。
それは萩尾望都が年をとっても同じようにマンガを描くことへの欲望と情熱と技術が衰えていかなかったことに匹敵する。
萩尾マンガはむしろ年を取ってからますます開花していったと私は思っている。真の名作は後期にある。
マルゴが62歳で死亡した後、解剖した医師たちがその若さ美しさに驚いた、と記されている。
63歳でこのエロチックに性愛に生きた女性を美しく描けた作家はそれほどいないのではないか。
しかも萩尾望都はマルゴを越えてさらに輝き続けるのだ。
さて八巻の内容に入っていこう。
冒頭でマルゴの生涯の恋人アンリ・ド・ギーズが暗殺される。
ギーズの描写に確かに萩尾望都が追い続けた美しい男性のイメージが重なる。
ふたりの間に生まれたサパンのエピソードは萩尾望都の創作なのか、それともどこかにそうした文献があるのかわからないが、最終巻を飾るサパンの活躍とマルゴとの和解そしてマルゴがやっとつかんだ幸福な時間は萩尾望都がマルゴにそして自分自身へのささやかな贈り物のようだ。
兄アンリもまた萩尾望都の家族観の一つなのだろう。
アンリはマルゴの処女を奪うことで恋人からの信頼と愛情を妨げてしまう。
むろん物語としてもそのことがギーズのマルゴへの愛情を失わせたとなるのではなく結局は政策によるものだと判っているがマルゴ自身はそんなに割り切れるものではなかったはずだ。
「処女であればギーズはなんとしてでも私を選んだかもしれない」と思ったのではないだろうか。ギーズはまじめで一徹な男だからだ。
年老いてもアンリはマルゴを苦しめ続ける。
wikiにも近親相姦関係にあった、などと記されているが実情はこのようなものだったのではないかと萩尾は描き私もそんなものではないかと思える。
もうひとりのアンリ、夫となるナヴァルのアンリ、は萩尾望都にとって実感する男性像なのだろうか。
こればかりはなんともいえない。
時代のせいなのか、たまたまなのか、萩尾望都は結婚していない。
その頃の成功した女性マンガ家は男性マンガ家と違い多くが結婚していない。
極端に多忙なマンガ家生活で家事は女性の役割とされてきた昭和時代に女性マンガ家は大成するほど結婚していない。
同じように大成した男性マンガ家のほとんどが結婚しているのと対照的である。
萩尾望都が結婚していたら、子供を産んでいたら、というのは考えても仕方ない。
それはかなり異なる作品の誕生を期待することになるが半面そこで仕事量が減る、もしくは断筆していたかもしれないともいえるのだから。
さて、夫となるナヴァルのアンリは女たらしとはいえなかなか愛嬌のある魅力的な男性として描かれている、とは思う。
だがギーズへの愛、兄アンリへの憎しみとは違い夫への感情はどことなく物足りなさもある。
しかしここまで複雑で政略的な夫婦が持つ感情をそのまま想像することすら難しい。
世間に認められはせずとも夫アンリはマルゴの奔放な性愛を許可し自分自身も奔放であった。この夫婦の在り方がすでに破綻している。
萩尾望都が結婚もしくはそれに似た関係性がなかったのであればこのよくわからない奇妙な夫婦関係を描くのはむしろ当然だったのかもしれない。