ガエル記

散策

『ベター・コール・ソウル』その17

途中の感想を書くことができず最後まで鑑賞しました。怒涛の最終章でした。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

 

実を言うとこの最終パートの途中で人生をゲームのように楽しむ人間の喜びを謳いあげた作品だったのかと書こうとしていました。

しかし進行するにつれソウル・グッドマンことジミー・マッギルは袋小路に入り込んでいきます。

頭脳明晰と思えたジミーはどんどん手詰まりになっていき自ら罠にはいりこんでしまうネズミのような存在になってしまった。

モノクローム映像になってしまうのもあって彼は惨めに年を取ってしまったように見える。

 

結局堅物で嫌な人物に見えたチャックが言っていたことは正しかったのでした。ジミーはどうしても〝いたずら”がやめられない人間だったのでしょう。

いたずら、悪ふざけ、それは面白いけど度を超すと取返しのつかないことになってしまう。

ジョークを言えない人間はつまらないけどジミーはあまりにもジョークがうますぎた。

一方兄のチャックはジョークが通用しない男だった。

 

つまらないドラマは善と悪、良い人と嫌な人を極端に描き分けてしまうけど実際の人間はその両面を持っているものだ。

チャックはまじめで正しい人だがその分面白みと融通性に欠けると感じさせる。

ジミーはとんでもないアイディアを思いつき実行する能力があり人生が楽しいのだがその代わり危険と隣り合わせなのだ。

チャックはそんな弟に反発を感じキムはそんなジミーに魅力を感じた。

キムはチャックと同じように有能でまじめな正義の人だがチャックとは違いジミーに惹きつけられてしまったのだ。

そしてチャックはジミーの影響で自死を選んでしまいキムはジミーの影響で気に入らない人間を追い詰めるという〝悪ふざけ”を考え出し実行してしまった。それでハワードは死んでしまう。

キムとジミーが直接手を出したわけではないがふたりが追いつめたためにハワードが死の場面に入り込んでしまったのだ。

 

その後キムは覚醒しジミーと別れ反省の道を歩みだすがジミーはキムと別れた後もいやより一層悪ふざけの人生を歩み続ける。

ジミー・マッギルの名前をソウル・グッドマンに変えたこともその意識の表れだ。

怖ろしいのは以前の優しく善人だったジミーの側面は薄れていき詐欺師としてのみ彼は生き延びているように見えることだ。

 

モノクローム映像の中のキムもかつての溌溂とした生気を失いただ生き延びているだけのようだ。しかし彼女はその中でもなんとかして正しい道を見つけたいと考えているのが切ない。

 

ジミーはキムに縋り付きたい欲求で久しぶりに電話連絡をするがそこで彼女から「自首して」と言われ逆ギレする。「そんなことを言うならお前がまず実行しろ」と叫んでしまうのだ。

ジミーはそんなつもりではなかったのだがこの言葉はキムの心を突いた。それはキムの核心だったのだ。

キムは最も恐れていた現実を選択する。悪ふざけで死に追い詰めてしまったハワードの妻に事実を伝える。ハワードの妻は「民事であなたを訴えあなたのすべてを永久に奪う」と言い渡しキムはそれを受け入れる。

 

ジミーは最後まで逃げようと悪あがきをし続けたがすべてを打ち明けたキムの話を知って裁判ですべての悪事を自白する。

つまりそのことこそがソウル・グッドマンの名前の意味なのだろう。

 

 

ジミーは自己弁護で7年の刑に減刑させることもできたが最終的に真実を言うことで86年の刑を受け入れたのだ。

 

メチャクチャ面白くてハラハラさせられた長い長いドラマの終焉がこんなにももの悲しく重く暗いとは。

 

期待以上に素晴らしいドラマでした。こんなに面白く見ごたえある作品とは思ってもいませんでした。

なんだろうこの充足感と悲しさは。

怖ろしいドラマでもありました。