ガエル記

散策

『ポーの一族』「エディス」(1976年)萩尾望都

 

1976年「別冊少女コミック」4~6月号

ポーの一族』シリーズ15作目。現在の再開に至るまでは長い間ここで最終作となっていました。

 

 

ネタバレします。

 

 

この一作については様々な思い出があります。

まずはなんといっても衝撃的な終わり方。

私はどんな終わり方であろうともエドガーとアランは永遠の時を生きるのでしょう、というような夢みる終わり方になるとなんとなく信じ切っていて疑わないでいたのだ。

それがアランの死、というそれまでのどんなマンガいやコンテンツから受けたことのない残酷な仕打ちをされしばらく茫然とするしかなかった。

なぜ作者はこんな冷徹なエンディングを与えたもうたのか。

悲しかった。

 

折りしも萩尾望都氏の絵柄が以前の造形と変化し顔立ちが丸っこく変わっている時期になっている。

私は萩尾氏の変化がそのまま終結を意味している気もしていた。

それが単なる杞憂だったのは今現在ならわかるのだがその時は萩望都が終わるのではないかと恐れていた。

終わりどころか、その後ずっと数々の名作が生まれていくのだ。

しかし1974年に『トーマの心臓』が描かれ1975年に『11人いる!』そして『ポーの一族』の「エヴァンズの遺書」から「一週間」までの名作の数々、その後1976年には『アメリカン・パイ』という素晴らしい短編を描いた後の本作だが突如ここから丸い顔になってしまっている。

詳しい方ならもっと詳細を書けるのかもしれないが私にはこの本作で「萩尾望都が変わってしまった。終わってしまった」と感じていた。

(しかしこれ本当に馬鹿々々しい話で今読むとまったく遜色ない綺麗な絵としか思えない。なにをそんなに恐れたのだろうか)

それともやはり逡巡の時期ではあったのだろうか。

年表を見ると1976年は作品数が少ない。本作の後だったか『続・11人いる!』でも絵の変化と主要人物の死亡で涙した。

1977年はレイ・ブラッドベリ及び光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』というマンガ化作品が並ぶ。

1978年の『ゴールデンライラック』を経て『スター・レッド』で萩尾望都は次の段階に入って奇跡の生還をしたと感じた。

しかしそう書き並べれば1976年に終わったのかと案じて1978年に復活していてその間に名作『百億の昼と千億の夜』とレイ・ブラッドベリマンガ化そして涙の『アメリカン・パイ』まで描いているのだからそれはもうスランプとは言い難いではないか。

確かにそうなのだけど本作で私は様々に不安を感じさせられたのであった。

 

と前書きが長すぎた。

本編へ行こう。

 

本編発表と舞台が同じ1976年である。

歴史の中を生き続けるエドガーとアランがついに現代に辿り着いたのだ。

アランはエドガーにそっくりな少女エディスに出会い好意を持つ。

そしてエディスは以前アランが火事の中で助けようとして救えなかった少女シャ―ロッテの妹だとわかる。

つまりエディスはエヴァンズ家のひとりであり彼女にはヘンリー、ロジャーという兄がいるのだ。

エディスに惹かれていくアランをエドガーは心配する。かつて自分がメリーベルポーの一族に引き込み結局は守り切れなかった悲しみをアランに味あわせたくないのだ。

 

その一方でエディスの兄たちが盗品取引の古物商をやっていて事件にまきこまれたりオービンがしつこくエドガーを追いかけている話が絡んでいく。

そうした複雑な話作りのうまさは比類なきものとしかいえない。

 

以前のエドガーが誰かと絡むものよりアランがエディスと仲良くなりエドガーがそれを見守るという形は彼らの個性を引き立てている。

 

今読むと・・・素晴らしい作品なのだ。

アランと同じくエドガーの結末も判らない・・・。

無論再開したものを見てもアランだけが死にエドガーだけが長い時を耐え忍んでいたのに間違いなかったとわかってもいる。

 

エディスも兄弟もこの事件から逃げるように生活することを選びオービンのみがさらにエドガーを求めてその物語を書き始める。

 

胸の中の苦しみが長い時を経て美しいものに変わることができた。

 

物語の再開というこれも思わなかった喜びもある。