さすがに表紙になることはないがやはり歴史的に一番のヒロインはなんといってもカトリーヌ・ド・メディシスでしょう。
彼女の表紙は・・・・無理ですかねえ。
ネタバレします。
シャルルが24歳で死去。
アンジュー公アンリはポーランド女王に言い寄り宝石類をだまし取って(ほんとに?)フランスに逃亡帰国。
そしてフランス国王となる。
コンデ公の妻で身重のマリーを后にしたいと願い出るが(母后のさしがねでか?)マリーは葬り去られる。
(ここにアンリ三世はデュ・ガストを使い手紙を届けさせたためにアンリはデュ・ガストがマリーを毒殺したと疑うこととなる)
アンリ三世は悲痛のあまり髑髏の衣服を纏う。
母后に逆らいルイーズという娘を選び結婚する。
しかしルイーズは流産することとなり立ち直ることができなかった。
デュ・ガストは常にアンリ三世の忠実な家臣ではあったがかつてのような結びつきは薄れていく。アンリはデュ・ガストがマリーを毒殺したと思い込んでいた。
マリーをどうしても妻にしたかったアンリは彼を問いただす。
デュ・ガストはアンリの心を向けようとこれまで自分が尽くしてきたことを訴える。マルゴが産み落とした赤ん坊を隠したことも。
アンリはこの言葉でジャックと名付けられた赤ん坊を思い出し自ら彼がいる田舎の小さな教会を訪ねていく。
(歴史マニアの方にはこの「ジャック」という名前で未来を予感されているようだ)
アンリ三世は何度となくジャックと会い教会に寄付をした。
小さなジャックは立派な姿のアンリに「父ちゃんなのでは」と期待したのだ。
だがアンリはそれでもなおデュ・ガストの裏切りを責めたて鞭打つ。
痛めつけられ帰っていくデュ・ガストは暴漢に襲われた後、カトラとアンリエットに刺され死亡した。ここでも彼は誤解され亡きマリーの仇が討たれたのだ。
デュ・ガストの死を聞きアンリ三世は絶望する。「彼を愛していた」
国王は罪人のように裸足でボロを纏い自らを鞭打ちながら町を歩いた。
ナヴァルは彼に従った。
アンリ三世のお気に入りとなり道化のようにふるまい続けたナヴァルのアンリがついに1576年2月4日脱走する。
マルゴには何の相談もなかった。ナヴァルのアンリの妹カトリンもパリに置いてきぼりではあったが彼女は兄を信じている。
そして同じく1576年春、アランソン公がカトリックとプロテスタントの和平交渉で勝利する。
コリニー含めすべてのプロテスタントは無罪となり礼拝も認められラ・モルやココナスの名誉まで回復されたのだ。
カトリンは兄に呼ばれベアルンへ戻ったがマルゴにはなんの呼びかけもなかった。
アンリ・ド・ギーズはヴァロア家がプロテスタントに甘いことをなじる。
マルゴは母后にナヴァルのアンリの元へ行きたいと願い出たが「三部会」が終わるまで待てと言われてしまう。
そしてその三部会でアランソン公は母后に丸め込まれプロテスタントとたもとを分かった。
「王弟殿下の和議」は破られてしまう。
ばかりか、アランソン公はフランス軍を率いてプロテスタントの都市ラ・シャリテとイソワール地方を攻撃して占領する。1577年春から夏にかけて三千人の住民が虐殺される。
7月、母后はアランソン公の勝利を祝ってシュノンソー城でパーティを開く。
それは男が女装し女が男装するという男女逆転パーティだった。
なぜ?おフランス風なのか?
マルゴは決心し自分がベアルンへ行ってプロテスタントとの和平交渉をしやすくすると母后に告げる。
しかし母后はマルゴにスペイン領のフランドル(今のオランダ南部ベルギー西部あたり)に赴きドン・ファン提督に会い「アランソン公をフランドル地方の王にしてほしい」と可愛くお願いしてくれというのだった。
ドン・ファンと会いマルゴはその男らしさと力強さに圧倒される。ドンファンもまたマルゴの美しさに恐れをなした。
マルゴは母后の命令どおりにフランドル地方でアランソン公の宣伝をするがここでプロテスタントが反乱を起こしドン・ファンとの戦争が始まる。
マルゴは慌ててフランスに戻る。
今度は母后がしぶるマルゴをアンリの待つベアルンへと引き立てる。
旅の途中で母后は「フランスの平和のために戦争はやめましょう」と演説してまわった。
アンリとの再会。25歳のマルゴは美しく再びアンリの心をつかむ。
ネラックの城は地味で暗いと思ったマルゴは徹底的に城をパリ風に改革してしまう。華やかなサロンを開き美と文化を広めた。
しかしその一方、夫アンリはマルゴが連れてきた美女たちと浮気しフォスーズという少女を身ごもらせてしまう。
その子が生まれたらアンリはマルゴと離婚しフォスーズを王妃とすると言われたと聞きマルゴは動揺する。
子供は死産だった。
母后はマルゴとアンリに来訪してほしいと伝えてきた。
アンリはマルゴだけ行くがいいと告げる。
マルゴはナヴァルのアンリを愛していたことに初めて気づいた。