ネタバレします。
(了)
「維新は実質上維新(これあらた)なる事はなく末期幕府が総力を挙げて改革した近代軍備と内閣的政務機関を明治新政府がそのまま引き継いだにすぎない。
革命(revolution)ではなく復位(restoration)である」
雨降る夜分、腕に傷を負った極は柾之助に支えられながら秋津家の分家を訪ねる。
が、奥から「ならぬ、匿えば家が絶える。奥州へでも逃げよと云え」という主人の声が聞こえ極は柾之助に「出よう」と告げた。
追ってきた爺がとある店屋に小判と米を渡して「この雨の中。せめて一晩匿ってほしい」と土下座して頼み込んだ。
いったんふたりは納屋にかくまわれたが「ひとり一両」という声が聞こえまたも外へ出た。
雨降りしきる中ふたりは行く当てもなく逃げ続けた。
やがて極が力尽き倒れてしまう。
柾之助は小屋を見つけ中へと極を抱え込んだ。
極は傷の悪化で高熱を出していた。
柾之助はうなされる声が聞こえたが泥の眠りにのまれてしまった。
呻き声に柾之助は目が覚める。
極が自らの腹を切って呻いていたのだ。
「会津までもたぬ・・・だから・・・」と言い「頼む」と自分の首を斬るしぐさをした。
が、初体験の上に動揺も加わり満足な介錯はまれだった。
一太刀では斬れず三太刀以上要してしまうもの、下頤が首に残ったもの、頭を横に割られ脳が露出したもの、これらの惨状をまのあたりにした。
柾之助は泣いた。
翌朝農家の者たちが起きてきてその様を見、秋津極を葬ってくれた。
柾之助は「会津派」と聞いた。
百姓は指をさしたが「その前にお着換えなされませ」と身支度をしてくれたのだ。
柾之助は深く頭を下げた。
会津に向かっているかどうかわからなくなった。
どうでもよかった。
疲れているが歩は止まらない。
止まらぬどころかはずみをつけて速さが増してくる。
ついには地を蹴って天駆来るかのような心地となり
額を頬をきる風を感じていた。
通りかかった父娘が倒れている柾之助を抱き起した。
男は柾之助をおぶって歩き出す。
慶応四年七月十七日
新政府は江戸の名称を東京とし
ついで九月八日年号を明治と改める。
ここで「完」となっている。
この後柾之助がどのようにしたのかは読者の想像になるわけだが普通に考えて柾之助は会津には行かず生き続けたとなるのだろう。
秋津極は己の志を全うしたが気の毒なのは悌二郎である。
過ぎ去ってしまえば何事もなかったかのような一事件で命を落とした若者たちの虚しさを思うのは武士の志を理解できないからだろうか。
物語はここで完結するが後で描かれた短編が収録されている。
「長崎より」
長崎で勉強していた悌二郎のほっこり短編マンガ。
ここではすでに散切り頭が行われ残るは悌二郎だけとなっていた。
小島養成所で解剖実習のための通学をしている悌二郎は西洋雑貨の店を見るのが楽しみになっている。そこで可愛い西洋の少女が描かれている(?)縫い箱を見つけ妹の砂世にお土産として買い帰京するのが楽しみなのであった。
ほのぼのとした物語のほんのすぐ後にあのような悲劇ー妹の婚約者と自分自身が上野戦争で死んでしまうーが起きようとはこの時は知る由もない。
幸福だが悲しい一編である。
杉浦日向子氏、さすがその時代を感じさせてくれる作品だった。