ガエル記

散策

『蟲師』漆原友紀 その10

ネタバレします。

 

「天辺の糸」

天から垂れ下がる糸を引っ張ったら飛んで行ってしまった娘の話。

 

吹(ふき)は夜泣きする幼児の子もりのために雇われた娘だった。

その家の息子セイジロはいつも星を眺めているような男で自分の側で子守をする吹を嫁にしたいと思うようになった。

いつものように望遠鏡で星を観察するセイジロの横で幼児を遊ばせていた吹は天から垂れていた糸を引っ張った。

その途端、吹の体は天高く舞い上がってしまったのだ。

 

吹は一山超えた山の中に落ち記憶を失ってぼうっとしていたのギンコに救われる。

ギンコは吹が蟲に取り込まれそうになっているのを忠告し人間でなくなってしまわないように導く。

翌日吹は記憶を戻し里へと向かう。

すでに新しい子もりが雇われ吹は用なしになっていたがセイジロは吹に嫁になってくれと伝えたのであった。

 

ギンコはセイジロから話を聞き、吹が見たのは天辺草だと告げる。

そして「気を付けてやれ」とセイジロにいうのだった。

吹の手に残った糸で空につながっている不安定な状態のままだ。下手をすればぶり返す。

吹がヒトに戻るために必要なのは自身の「ヒトでいたい」という思いだろう。

「あんたがそう思わせてやるんだな」

セイジロは肝に銘じますと答えた。

 

だが次にギンコが訪ねた時、吹の姿は見えなくなっていた。

セイジロは頑張って父親を説得していたのに吹がまた飛ぶようになりどうしようもなくなったのだと言い訳した。

吹の足に縄を付けて飛ばぬようにして閉じ込めた。

ある日、吹はいなくなっていたのだという。

「言ったはずだ、お前がつなぎとめててやるんだ」と

セイジロは「俺は周りの者に受け入れてもらおうと努めたんだ。だが吹があんな様では」と答える。

ギンコは「誰よりもあんたが吹を否定したから吹はヒトの姿を保てなくなったんだ」

吹はいなくなったのではなく同じ部屋の梁の上に座っているのだ。

だがギンコには見えてもセイジロには見えない。

「吹をこのまま失いたくなければ受け入れてやれ」

 

吹がいないままセイジロは祝言をあげた。

花嫁がそこにいるかのようにふるまう花婿の姿に人々は恐れをなした。

セイジロは里のはずれにひとり居を構え相も変わらずいない嫁に話しかけるのを村人たちは遠巻きにした。

 

けれどやがて人々の目に吹の姿が見えるようになった。

そののちは吹が姿を消すことはなくなったという。

 

印象的にこれまで『蟲師』では男女の恋は不幸になりがちだったのが良い方向へ運べた佳作ではないだろうか。

やはり努力なしに結婚生活は成り立たないのであろう。

 

 

「囀る貝」

女房をフカに食われてしまった恨みで漁村とかかわりを断った父と娘。

ある日、娘ミナは”貝の唄”を聞いてしまい声が出なくなった。

通りかかったギンコは貝殻の中に棲む蟲の声なのだと説く。

しかしそれはヒトの声を聞いていれば治るものではあるらしい。

 

とはいえ村人との接触を禁じている父親の側にいる娘ミナはなかなか声が戻らない。

そうしているうちに赤潮が現れ漁村の生け簀が全滅した。

漁に出ようとする漁民をミナの父は「危険だ」と制止した。

仕方がない、という漁民にミナは見つけた真珠を差し出す。

 

ミナと父親は再び漁村に戻りミナの声もまた戻った。

 

 

「夜を撫でる手」

山に君臨しどんな獣からも恐れられる「山の王」たる手を持つ、という設定の物語。

他の作品ならかっこよく描写されるはずなのだが漆原作品ではかなり惨めな存在になってしまう。

怖れられる存在というのはもっとも悲しい存在なのだろう。

 

「雪の下」

アナと雪の女王」のような話、というのも変でこの話の方がずっと先に描かれているのであるが。

 

トキのまわりだけいつも雪が降っている、という表現なんぞあいつを思い出すではないか。

 

湖の氷が割れてそこへ沈んだ妹への悔恨でトキは寒い中でしか生きられなくなった。

少しでも暖めようとすると火傷したように熱くなると苦しむのだ。

しかしそれを見たギンコは感覚がおかしくなっているだけで身体は凍傷を起こしかけているとみる。

 

狂ったかのように氷の下にいる妹を救い出すというトキを追いかけた妙は同じ場所を踏み氷の下に沈んでしまう。

妙を救い上げたトキはその身体を背負って歩いた。

歩くうちに妙の体温が伝わりトキの感覚が戻った。

歩む足は酷く冷たくトキはその指を幾つか失うことになったがトキは再び生きていくことができるようになったのだ。

 

 

「野末の宴」

これはちょっと趣が違う話。

 

酒蔵で働いている禄助は蔵元の許しを得て出来上がった酒を少し分けてもらい実家へと帰る。

 

子供の頃同じ山道を通ったものだった。

彼の父が造った酒を蔵元に運んだのであるが明らかに酒の量が減っているのだ。

それは山で何かに絡まれて気がつくと酒の量が減ってしまうのだ。

父親はそれがわかっていて「やつらは気に入ってくれたんだな」と喜んだのだった。

 

その道を禄助は今度は自分が造った酒を持って歩いていた。

少しだけ酒を飲むと足がもつれてしまう。

さらに酒を入れた壺までがなにものかにさらわれるように動き出した。

 

酒壺を追いかけるとそこには灯りをつけた人だかりがあった。

「なにをしているんだ」と声をかけたのはギンコであった。

ギンコもまた光る酒を持っていた。

「見ねえ顔だな。新参蟲師か」

禄助の眼前に蟲師たちが酒盛りをしていたのだった。

 

ギンコをはじめ蟲師たちは禄助を新参蟲師と勘違いし持っていた酒を光酒と思い込む。

が、その酒はあくまでも禄助が造った酒だった。

ばれて禄助は逃げることになる。

 

知らぬうちに禄助は酵母の代わりに吸蜜糖という蟲を使ってしまっていたのだ。

禄助の作った酒は猩々髭という蟲すらも騙してしまうほどの出来だった。

禄助の話を聞いたギンコはその腕前に感心し蟲師仲間にその酒の噂を流してやったため蔵元には奇妙な客が訪れるようになった。

 

その酒も残り少なくなった。

禄助は時折その酒を味わって酔っている間だけ見える鮮明に息づくモノたちに「自分はまだまだやれる」という気持ちになるのだった。

 

良い話だった。

これもまたクリエイター話である。