未知の領域です。
うお。
二巻にはいって急に絵(というか話とか全体的に)がうまくなった気がする。
すごい。
ネタバレします。
「やまねむる」
山に穴が開いていた。
なんでこんなこと、考えるかな。
しかしここ、マンガは自然な開き方だったのがアニメだとコンパスみたいなw
どうなんだろう。
蟲師という存在がすっかり定着した様子なのだがここでその蟲師の最期が描かれる。
年老いた蟲師ムジカには辛い過去があった。
ギンコと同じように蟲を引き寄せる体質で流離の旅をしていたムジカはとある山の村人に慕われその村の娘、朔と所帯を持たないかと勧められる。
ムジカは「山のヌシを喰って自分がヌシになれば蟲を寄せ付けることもなくなるのだが」とつい口を滑らせてしまう。
それを聞いていた朔はムジカと結ばれたいがためにヌシ(イノシシ)を殺しその肉を持ち帰る。
山のヌシに人がなるのは「辛い」らしい。
なのにムジカがヌシになるのを決めたのは先代の美しかったヌシへの謝罪か。
それとも朔の愛情のゆえか。
その朔は山の精気のためか早く死んでしまったという。
ムジカと朔の山での生活はまったく描かれていないためその期間がどれほどだったのか。幸福な時間があったのか、そうではなかったのか、まったくわからない。
ギンコもまたムジカに惹きつけられたのか、何とかして彼を救おうとするが今回ギンコの力はまったく及ぶものではなかったようだ。
ムジカはあっさりとクチナワに飲み込まれクチナワが山のヌシとなったのだ。
山に捨てられた子供コダマを弟子にしてムジカの知恵は受け継がれた。
ギンコは山を立ち去る。
「筆の海」
ところで大友克洋監督作品『蟲師』は原作&アニメファンからは罵倒の嵐だがかつてその映画作品を観た時この「筆の海」パートはとても印象的だった。
後に大友『蟲師』を見返すと映画として成立していないと判ったがこの話の中の「箸で文字を捕まえる」という演出をやりたいその一点のために映画を作ったのではないかとすら思える。
これまで蟲に巣くわれ操られ苦しむ人々が描かれてきた。
本作の女性、淡幽もまた蟲に身体を蝕まれ苦痛に耐える人生を送ってはいるもののその苦痛と共存しながらギンコの訪れを待ちいつかその苦痛から解き放たれギンコと旅がしたいものだと望んでいる。
その姿勢に感心する。
淡幽を励まし仕えている老女たまとの関係性も良い。
こうした主従の男性同士版は山とあるが女性同士の主従関係を描いたものは殆どない。
そうした意味でもこの一話は貴重でもあり好ましい。
まあまあ、この話もまた「マンガ家」特に女性マンガ家を意味しているとしか思えないではないか。
身体中に文字が記される淡幽。
マンガ家ならばキャラが描き巡らされるというものか。
蟲に体を浸食されながら蟲を愛でつつ蟲を封じる。
この「蟲」を「マンガ」に置き換えてみればいい。
ギンコもまた「それまで無事俺が生き延びられてたら・・・だがな」と答える。
ふたりが旅する時は来るのかな。
(女は年取ってからのほうが旅がしやすいと思うが)