
ネタバレします。
【第四章 幸せとはなにか 1927ー31年】
ここで記されるのは三つの潮流の話。
一つは頽廃的な享楽現象と見下されてしまうエログロナンセンス世相。
一つは土着的な生活や農村文化を強調し家族や共同体の再現を目指す「郷愁」志向。
一つは統制のある社会づくりを目指す「昭和維新」運動。
なんの関係もなさそうなこれらの共通項は「幸せとはなにか」という模索なのである。
かつて(江戸時代)は「幸せとはなにか」と考えることはなかった。
だが「解放の時代」を経て人びとは「幸せとはなにか」を考えねばならなくなったのだ。
一般的に「無駄なもの、おぞましいもの」とされる「エログロナンセンス」世相も本著では「意味あるもの」だったとして記される。
それらを見学に行った女性たちの中には「今までの封建的な暗い日本の生活」とは違う明るい社交の場を見たという感想を持つ者もいた。
そして女性向けのカフェが欲しいとも願ったのだ。
その一方で人気を集め出した潮流が「土俗精神への回帰」だという。
これは農村・郷土への回帰だけでなく時代劇ブームにもつながる。
「郷愁」一派といえようか。
「家庭」のような共同体をつくるのもそうした流派なのだという。
そしてこの「家庭」を求める心「日本人はみんな誰もが同胞だったのではないか。この兄弟意識の上に日本を心から抱きしめて生きてゆくことによって日本がはじめて生きてゆけるのだと信じているのであります」という気持ちが次の潮流へと続く。
その最後の一つが「昭和維新運動への胎動」となる。
先に「土俗精神への回帰」「郷愁」の潮流から生まれたと書いたがではこの二つの違いは何かというと「怒り」である。
そして最も顕著なのは農村と都会との貧富の差、への怒りなのだ。
その怒りが単なる「郷愁」派と「昭和維新」派との違いになる。
ただこの怒りはあくまでも自分が理想とする郷愁を守るためだけの怒りなのだ。
第Ⅱ部 引締めの時代
【第五章 満州事変とは何だったのか 1931-34年】
1931年9月18日金曜日の夜、午後10時20分頃。満洲奉天駅から北東約7・5キロにある柳条湖付近で南満州鉄道の線路の一部が爆破される。
関東軍はこれを中国軍の軍事行動であると発表。
即時に奉天市街地中心部をなす奉天城とその北部に位置する中国軍兵舎・北大営への攻撃を開始。翌日には関東軍各部隊が奉天のみならず長春、営口、安東など18都市を一斉に攻略しその日のうちに占領を終えた。世にいう満州事変のはじまりだった。
それから三か月ほどで日本軍は南満州ほぼすべてを占領下に置き、翌年三月には満州全土を中華民国から独立させ満州国の建国が宣言される。
事の発端となった爆破事件は関東軍による自作自演の謀略であった。
戦術的な準備は用意周到であったが日本側にグランドデザインがあったわけではなく1930年代の日本はその場その場の出たとこ勝負の側面が強かった。
とはいえその背景はいったいなんだったのか、と語られる。
つまりここで著者が記すのはこうした戦争意欲が一部の日本軍人の思惑ではなく日本人全体が戦争を望んでいたということである。
自分たちがより幸せ(それは物欲的に豊かであるという幸福を指す)になるためには近隣諸国を犠牲にするのが手っ取り早くそうした国の思想と行動に反対するどころか嬉々として応援する声を集めている。
無知というのがどれほど恐ろしいことなのか、と思わされる。
そういう時代の先に戦争があった。
学ぶことは大切だ。