前回『青天を衝け』の記事で「狐憑きが出てきたので思わず『陰陽師』の管狐を探してそのままはまり込んでしまった」というようなことを書いたのですがマジで数日読み浸っていました。
というのは岡野玲子著『陰陽師』の十巻以降は非常に難解な内容で読みづらくなっていて多くの読者がここらで離脱したり転覆したり或いは怒ったりなさっているようなのですね。もちろんきちんと読み込んでおられる方もいるはずでしょうがネット検索を軽くやっている程度では詳細な感想や解読がされているている文章をみつけきれませんでした。
逆に岡野玲子『陰陽師』に対しての批判さらに後半巻への疑問および愚弄ともいえる文章が多々あることはわかりましたのでそれらをもとに自分の考えを書いていきたいと思います。
まず断っておかねばならないのは私は夢枕獏氏による原作小説を読んでいません。そのため原作の安倍晴明・源博雅世界への愛着がないゆえの岡野版『陰陽師』感想になります。原作にも目を通すべきかとも思ったのですがあまりにも巻数があり断念しました。
なので想像になってしまいますが読んだからといっても気持ちは変わらないと思います。読む順番も重要ですから。
岡野『陰陽師』への一部の原作ファンの評価は6巻までは良し、譲歩して8巻までは許されるらしいのですがそれ以降は岡野玲子のとんでもない展開になってしまった、なぜ誰もあそこまでの暴走を止めなかったのだ?ということになるようなのですが、むしろまさしく岡野玲子氏が描きたかったのはその部分であるのは間違いないのです。
さらに(一部の)原作ファンは岡野版のオリジナルキャラクター「真葛」という少女が安倍晴明の妻となって源博雅との間に割って入ってしまうことが許しがたく真葛(マクズ)を「マギクだかメギクだか」とあえて読み間違えその後も「メギク」として存在を否定していく方もおられました。
実在の安倍晴明・源博雅にはそれぞれ結婚相手がいるのですが小説『陰陽師』作者・夢枕獏氏は「非日常を描くため晴明・博雅の周囲に女性を置かなかった」と言われている、とのことです。
一部の原作ファンが二人の男性の関係性に魅力を感じるのは私もわかります。もし若い頃原作を愛読していたら私も真葛を嫌っていたかもしれません。
きっと一部原作ファンとしては「夢枕獏が(せっかく)作り出してくれた晴明・博雅世界になぜよけいな〝女”という性を入り込ませてしまうのか。それをやりたいなら自分のオリジナル作品でやってくれ」と怒るのでしょう。
しかしこれも岡野玲子は「どうしてもどうしても描かずにはおれなかった」のです。
岡野玲子氏はそれこそ夢枕獏『陰陽師』が大好きだったのでしょう。だからこそその世界に自分の思いを入れてみたくなった。
別作品を生み出す、のではなく大好きな『陰陽師』晴明・博雅の中に自分の血を注ぎ込みたくなったのです。
それは男性であり男性社会の中で男性の世界を描く夢枕獏氏への愛情をこめた反撃でもあるのではないでしょうか。
素晴らしい『陰陽師』晴明・博雅世界は非日常だから女性を置かないと夢枕氏は言われるが何故女性がいてはいけないのか、本当にダメなのか、岡野玲子は挑戦してみたのではないのでしょうか。
原作ファンにとってはその挑戦は心地よいものではなかったのでしょう。
しかし私は原作を知らないためもあって余計な存在「真葛」を最初からとても気に入っていました。まさか彼女が女性たちに嫌われていたとは知る由もありませんでした。
私にとっては真葛は当たり前の存在だったので逆に疑問がなかったのですがそうして考えてみると真葛は岡野玲子氏にとって「なぜ『陰陽師』世界に女性性を入れてはいけないのか」の問いかけだったのだと気づくことができます。
「真葛」こそが岡野版『陰陽師』のすべてなのです。
ちょいと脱線で思ったのですが真葛は『ブラックジャック』の中の「ピノコ」ではないでしょうか。ブラックジャックは孤独でレギュラー博雅はいませんが無理やりキリコを当てはめてもいいでしょう。ピノコは比較的最初からいるのでファンにも好かれていますが何故『ブラックジャック』に必要なの?的な存在でもあります。
まだ小さい女の子なのに生意気でブラックジャックの妻だと言い張るところもそっくりです。もちろん私はピノコが大好きです。
夢枕獏『陰陽師』だけでなく男性が描いた『男性主体の世界』作品は数多くあります。それを好む女性もまた多くいるのです(私もかつてそうでした)が岡野玲子はその世界に「真葛」という女性性を入れ込んでみたのです。
安倍晴明という特別な存在の男性、非日常世界、精神世界、霊界、神と鬼の世界を司る力を持つ男性の相手(パートナー)は博雅という男性ではなく真葛という女性であってはいけないのか。
ほんとうにそれはあり得ないのか。
岡野玲子は挑戦状を描いたのです。
続きます。