関平くんは「父上はお年を召された」的なことを言ってるけど絵的にはまったく年取っていない関羽。
せめて兄者に会わせてあげたかったなあ。
ネタバレしますのでご注意を。
関羽は自然の力を利用した策略を講じていた。
連日の雨で水かさを増した蘘江上流の堰を切って落としたのだ。
濁流は川沿いに陣取っていた魏軍を押し流し溺れさせてしまう。
その後命乞いをする者は救け歯向かう者だけを殺害したがその中にあの龐徳もいた。
抵抗した龐徳は関羽の側近で水練達者の周倉によって捕らえられ関羽の手でその首を刎ねられた。
豪快な大勝で関羽の威名は天下に鳴り響いたが関羽の陣は重苦しい空気が漂っていた。
以前龐徳から受けた矢傷が癒えず毎夜熱にうなされだしたのである。
ここで登場するのが名医・華佗である。
かつて子供向け小説三国志を読んだ時、他はすっかり忘れてしまったのに記憶に残ったのはあの赤兎馬に乗った呂布の逸話ともうひとつ「華佗に腕の手術をされながら酒を飲み碁を打つ関羽」の逸話であった。確かに強烈すぎる。
横山版では手術中は関羽じっとしてるし関平と周倉が辛い顔してる方を描いているけど、小説のほうが「青くなった骨をごりごり短刀で削る」とか書いてあって怖かったものだ。
初めから関羽の話が心に残っていた(それと呂布だけど)のは嬉しい限りである。
とにかく関羽の手術場面は意外にあっさりと終わる。
関羽の名前がいっそう大きくなったのは魏呉どちらにとっても苦々しいことであった。
ここで呂蒙が孫権に堂々「関羽打倒」を申し出るが後で確かめると多数の烽火台設置など関羽の防御力の高さに困惑し仮病を使って出陣を先延ばしにする。
「仮病を使って」ってどういうこと?www
おおらかだなあ。学校休んでんじゃないんだから。しかしこれが功を奏するのだから人生わからない。
私としては関羽贔屓なのでむかつく案件なのだがこの呂蒙の仮病から陸遜が登場するくだりは天の配剤の凄さを思わせられる。こんなに面白いシナリオある?
陸遜はこの時まったくの無名であり見た目もパッとしない感じでありそれもまた望ましいことであったのだ。
(悔しいがおもしろい)
そしてまた悔しいがこのふたりの智謀に関羽はまんまとはまってしまう。
陸口に呂蒙がいたからこそ防御を万全にしていた関羽だったが新任者の陸遜という無名の将軍が自分におべっかを使い昼間から酒を飲み遊び暮らしていると聞いてすっかり油断してしまう。
そして陸口方面の兵を割いて樊城攻撃に集結させたのだ。
こうして呂蒙・陸遜コンビの荊州陥落作戦が動き始めた。やめろおおおお。
呂蒙は仮病を使うほど恐れをなした烽火台を次々と懐柔策によって門を開かせ呉に降らせ度の烽火台も一度も烽火をあげることなく呉軍を荊州に入れてしまったのである。
そして陸遜だけでなく他の意見も取り入れ着々と領土を確かなものにしていった。
まずは関平が守る城を徐晃が攻撃。関平は挽回の余地もない全面的敗北を喫し廖化と共に樊城まで逃げ延びるしかなかった。
が、関平が言った「荊州が呉の手に落ちたという噂がございますが」という言葉には怒りを発する。
関羽は迎え撃つが魏の大軍によってずたずたに分断される。かろうじて関羽が襄陽へと入る頃にはその勢力は半減していた。
そしてついに荊州が孫権の手に落ちたことが知らされたのである。
こうなっては成都へ援軍を頼むしかない。関羽は馬良と伊籍を向かわせた。
また関羽の部下にもともと呂蒙は同盟を組もうと幾度も言っていたことから「まだその気があるかもしれない」と言い出す者がいた。
それゆえ呂蒙に詰問の書を送ってはというのである。
呂蒙はこれ幸いとこの使者を利用し荊州の民がいかに呂蒙を慕っているかを見せつけた。使者に対しても礼儀正しく温厚な言葉や態度を崩さない。
その家族たちからの手紙を使者は頼まれ関羽軍の兵士たちに渡すとその手紙には呂蒙が素晴らしい将軍だと書かれていて兵士たちの心を乱した。
関羽は呂蒙の遠謀を解いた。仮病から陸遜に代わったことで関羽を油断させ荊州の民を帰服させた、のだと。
だがこのままではすまされぬ、わしとて君命で荊州を預かっているのじゃと関羽は睨みつけた。
が翌朝兵士たちの半数が脱走したと知る。
去る者は追ってもしかたなかろう。関羽はそれでも荊州を奪い返すと誓う。
関羽は玄徳の信頼を裏切る結果となったことに焦りを感じていた。
だが、残った兵士たちもまた自分たちの家族が住む荊州への進撃に戦意は失われていたのだ。
勇猛なだけでなく知将としても謳われた関羽が次第に追い詰められていく。