
ネタバレします。
第二部
「夢の木の下で」
『COMICアレ!』1997年3月号(マガジンハウス刊)
ツーライの地は高い絶壁に東西を挟まれた細長い谷のようだという。
ツーライの住人ひとりひとりはモボクという一本の木と共に暮らしている。
モボクとツーライ人は一対一の濃密な関係を持つ。
ツーライ人はモボクの中に棲み、その樹液を糧とする代わりにモボクが必要とする小動物や昆虫などを集めてくるのである。
そして共に夜を過ごし互いの夢を見るという。
なんかもうそれで生きていけるのならいいじゃないか、とすら思えてくるのだが、何故だか人間はここではないどこかを探してしまうものらしい。
アルミンが「海を見てみたい」といったようにテベクもムーラも「壁の向こう」を見てみたいと願ったのである。
そこがどんなところなのかわかりはしないが。
壁を越えてムーラの住むツーライの地に来たテベクも元々は自分のモボクと暮らしていたという。
そしてまた今度はムーラがその壁を越えようとする。
やはりこれも「普通の人ではない人」たちの生き方を暗喩しているのだろう。
そうした人に嫉妬して石を投げるものもまたいる。
「遠い国から」〔第一信〕
『別冊奇想天外』1978年12月号(奇想天外社刊)
宇宙船から降りてきた「私」が観光をする話である。
影の多い国であるというその地で「私」は気ままな一人旅をしながら様々な奇妙な現象を見る。
マンガ作品で「奇妙な現象」を描かれてもあまり面白いと思うことは少ないが諸星作品の奇妙な現象はどこかありそうに思えるのが肝なのかもしれない。
陽だまりがなくなると呻き声をあげる男、死んでも恨みがましい視線だけを山に残す男。
そして麓の町の住人はガラクタの中に住んでいる。ここでは実用的なものは軽蔑されるのだという。
「私」は時計を盗まれてしまい、仕方なく腕日時計を買う。
「私」は死刑を目撃し、ここでもガラクタが使われる。
ガラクタが少ないために息子をガラクタにするという感動の物語が生まれる。
その中になんと「私」の盗まれた時計があったのだが、それはすでに「ガラクタ」にされていた。
遠い国から〔追伸〕「カオカオ様が通る」
『COMICアレ!』1994年9月号(マガジンハウス社)
ツォリ地方からタール地方にかけて百三十日に一回やってきては通り過ぎるカオカオ様の話を「私」は聞く。
その前にカツリ山に登った。この世で最も美しいと言われる風景があるらしい。
あまりの美しさに死ぬ人もいるという。
「私」は少年をガイドとして雇った。
その少年はなぜか顔を覆っていたのだがそれを問うとシュッと覆いを開き笑顔を見せてくれたのであった。
断崖に添って霧が滝を作り陽光を乱射して様々な色に薄く光る。
それを見ている人々が時々谷底へ飛び降りていく。
少年の顔の覆いはそうした光景を見てしまわないためのものであった。
「私」は感動はしたものの死ぬほどのことはなくちょっとがっかりもする。
ツォリ地方に入るとそこの人々は肩後方から首筋に掛けて瘤のようなものがついている。彼らはこれを「カオ」と呼ぶ。彼らの言葉で「私」の意味である。
彼らにとってはその「カオ」こそが本体であり肉体はその付属ぐらいに考えているのだ。
そして死ぬと人々は「カオ」を丁寧に切り取ってカツリ山中のどこかの洞窟にそっと収められ肉体の方は集められ処分される。
そしてカオカオ様が町を通り過ぎた。
「私」はガイドの少年の忠告を受けて町を出る。
カオカオ様の顔が怖い顔になっていた。
そのため町の人々は皆突然荒々しくなってしまったのだ。
怖い思いをするとダンゴムシのように丸くなってしまうピロン人の国を通り過ぎ少年の故郷であるタパリに着く。
「私」が海まで行くというので少年はそこまで案内すると言った。
カオカオ様は海辺にも着ていた。
「あれは結局何なんだろう」と「私」が問うと少年は「あれはああいうものです。風景と一緒です」と答える。
「私」は死ぬほど感動できるタパリ人がうらやましかった。