1963年8月号~1965年1月号「文藝」
本書は初めて読むのだがこれまで様々な場所で松本清張の作家以前の話を聞きかじっていたのでさながら復習しているかのような読書となりました。
作家以前、といっても清張氏は四十歳をすぎてからの作家デビューなので八十数年の人生のまさに「半生」の記録となります。
しかも、デビューまでは素人としてもほとんど小説を書いていないというのは作家の人生として稀有な例なのではないでしょうか。
ネタバレします。
とにかく家族を食べさせるために生きてきた半生であった。
親との縁が薄い人、親から虐待を受けた人、の話は多く読んできたように思うが清張氏は一人っ子(当時は珍しいだろう。姉がいたが夭逝されたようだ)ということもあり貧しいながら溺愛された。
というか執着されたというのかもしれない。
そのせいもあるのか、清張氏は「自由に生きるということができない人生だった」と書いている。
貧しい両親を置いて家を出ることができなかったのだろう。
特に父親から物語を聞く様子などは他の作家からあまり聞かない話のように思える。
これも貧しさゆえに致し方ないつながりだったのかもしれないが。
それを思うと映画の『砂の器』(小説ではあまり描かれてはいないのだが)で行き場のない父と子が互いだけを頼りにして旅をする姿は清張氏自身と重なってくる。
松本清張の前半生は小説でも文学でもなく印刷業を営みポスターの図案などを描いていることからみても文ではなく絵画の人だったのがわかる。
まさに転換期の40代当初、小説とは別に全国観光ポスター公募で『天草へ』で受賞している。もしかしたらそちらの方へ進む人生であったかもしれないのだ。
清張小説はデビューして間もなく映画やドラマで映像化され続けていく。
内容が抽象的ではなくそのまま映像となって浮かぶからだろう。しかもその光景は非常に印象的で人の心を惹きつける。
デザイン画が描けることがおもしろい小説を書ける秘密でもあったのではないか。
とはいえ彼が就職した朝日新聞の広告部意匠係での描写は胸が痛む。
後に松本清張が人気作家となった時その人たちはどのような感想を持ったのだろうか。案外けろりと「私は才能があると見抜いていたよ」とか言いそうで腹が立つ。
そして戦争。
すでに35歳となり一家の経済を支えるのは自分だけという立場でありながら清張は軍務に服することとなる。
これは清張氏が多忙のあまり「教練」に参加しなかったための懲罰的な仕打ちだったのではないかと書いている。
そして同じようなメンツが召集されているのを知る。
なんにしても松本清張が戦争から無事に帰ってきてくれて本当によかった。
他の人であっても無論戦争で亡くなるのは悔しいがあの小説とそこから生まれた映画ドラマが存在しないのはあまりにも損失だ。
松本清張作品はどうしてああもおもしろいのだろう。
この『半生の記』を読んでいると様々に彼の作品に生かされているのがわかる。
清張氏自身は「変化のないつまらない半生だ」と言われているのだがそうした人生だったからあのような地道な話が書けたのであろうから本人は悔しいだろうが「この半生あってこそ」と思わずにはいられない。
とはいえ自分ではとても味わいたくない苦労多き半生である。