
続けます。
ネタバレします。
7 日曜朝 亜周辺の帝国で
柄谷行人『帝国の構造』
この合宿のテーマである〈あの戦争と国家〉に基づき「第7章 亜周辺としての日本」の抜き読みをしていく。
佐藤氏によるとこの本で柄谷氏は「近未来に日中戦争が起こる」と言っているのだという。
「亜周辺とは周辺とは違って中心による直接的支配の怖れがなく、文明の摂取を選択的に行うことができるような空間です」
専制制と封建制の違い。
ヒエラルキーが成り立つか成り立たないか。封建制はリゾーム状の構造になる。
専制制のようなツリー状の構造のヒエラルキーではなく根っこがグジャグジャに重なり合うような状況になるのが封建制なのだという。
ここで佐藤氏は「日本の家制度というのは実は血のつながりにはあまりこだわらない。むしろ正確には血のつながりにこだわる素振りを示す、というところに特徴がある」と言っているのだが現在もめにもめている天皇制問題に同じことを感じてしまう。
一般国民は血のつながりはもうどうでもよくて今の天皇ご一家に好意を持っているから「このまま愛子さまに天皇になっていただきたい」と言っている。
一方の麻生氏はじめ「何かを考えている一派」は天皇に男子の養子をとっていただいて男性天皇にしていただきたい、などと言っている。
こちらもまるで血族を気にしているかのような素振りをしているが実はどうでもいいのではないか。いろいろな人がいろいろなことを言っているが理屈を言っているだけで日本人は結局血のつながりはあまり気にしていないのに気にしているふりだけしているようである。
中国を中心の国として、例えば韓国は周辺の国であるし、日本は亜周辺の国である。
亜周辺の国はいろいろな変なことができる。
亜周辺ゆえの漢字かな併用制、というのがその一つだという。
では日本が中国との関係において亜周辺的だった最大の特徴はなんだろう。科挙制度を採り入れなかったことだ。
多様な部族の中から超エリートを作り出して国家を維持していくという中華帝国の中心的なシステムを日本は取り入れなかった。
明治以降になってようやく日本は科挙制度を導入する。そしてこの国家公務員総合職試験に採用された連中はまさに武人を「卑賎視」する傾向が伝統的にある。
官僚制が持つ武人・軍人に対する卑賎視という問題が隠れたテーマだった。
ここで南北朝の話が出てくる。
私は南北朝をまったく理解していないので困るのだが日本の歴史はこの「南北朝」が重要なのだと感じてしまう。
佐藤氏の説明によると南朝の後醍醐天皇は正当性を主張しただけで彼らの言う「建武の新政」は内容空疎なものだった。
復古的勢力は破れ逆に武家の支配はこの過程を通して一層浸透していく。
皇室、公家、神社などが所有していた領地が武家によって所有されるようになった。
豊臣秀吉が明への信仰を考えそのために島津に兵士と資金の供給を命じ島津は琉球王国に資金供給の要請をした。が、琉球は明とは臣下の関係にあるからできないと断りこれが薩摩の琉球入りになっていく。
佐藤氏は先の戦争および日本の国家戦略というのは秀吉がやったことのまさに反復現象だったという。地政学的に日本は海洋国家であるにもかかわらずその地政学に反する形での大陸国家を目指したのが秀吉の失敗であり昭和の戦争の失敗なのであると。
徳川体制は鎌倉時代とは違う封建制を作っていった。
絶対王政とは違うのは富国強兵をしなかったことだ。
鎖国政策をとり商人の力を抑えた。軍事的な発展を停止させた。
朝鮮の朱子学を導入し儒教を優位として南朝の正統性の観念に立脚した。
朝鮮とは平和に騙し合うという安定性を維持した。
「ナショナリズムでなかった攘夷運動」
水戸藩は二代目当主水戸光圀によって『大日本史』の編纂を始めていく。
ここから水戸学が生まれ南朝正統論を唱える。
幕末、幕府がアメリカやロシアと戦うこともなく和平条約を結ぶのを見て「契約違反」だと周囲が怒り始めたのが攘夷運動となる。
この辺りの説明はわかったようでわからない今後の私自身の課題であると思う。
労農派と講座派という言葉も初めて知った。
明治維新はブルジョア革命かとうっすら思っていたから自分は労農派かもしれない。
それも含めて今後学んでいくしかない。