ガエル記

散策

八瀬童子~「日本世間噺大系」伊丹十三

令和になりました。新しい時代もよろしくお願いします。

 

 

昨日のテレビ放送は一日中天皇の話ばかりだったですが、私は平成の天皇に凄く敬意を持っておりますし前の皇后さまにいつも見惚れてますから大いに結構なことだったのですが、その中でおっと思ったのが「八瀬童子」について語っていたことでした。

 

私が「八瀬童子」について初めて知ったのは伊丹十三著「日本世間噺大系」という本を読んだときでした。

この本は博学な伊丹氏らしく様々な話が書かれているのですが、その一つに「天皇の村」というのがあるのです。ここで「八瀬童子」の方々と「司会者」が会談するという形式でその役割が書かれています。

 

なにしろ私としては「八瀬童子」のことを知りもしないのですからこの会談がいったいどういうことなのか、むしろ伊丹さんの作り話なのかとすら思ったほどで読んだのが今であればすぐに検索してみたりできるわけですが(といっても辞書で調べるのはできたのですから言い訳ですね)その時は「不思議な話だなあ」などと思ったりしていました。

とにかく彼らは「後醍醐天皇隠岐から帰らはって比叡山へ行かはった、その時八瀬童子がお供したわけやさかい」ということでこの本の時に「六百五十年ぐらい前や」なので今となっては700年間天皇とは深いつながりがある、という歴史なのですね。

息をのむほど重い「葱華輦(そうかれん)」という輿を担ぐために「八瀬童子」の人たちは日夜体を鍛え上げ一番屈強な人は百貫(およそ375kg)のものを担げたというのですから怖ろしいほどです。

そんな力を持つ八瀬童子の人たちは先祖が「鬼」だと言われているのも不思議なことですが、日本の歴史として大切な存在だと思います。

特別な力を持つ民の存在は日本の歴史の中において忘れてはいけないものですね。

 

さて「八瀬童子」の方々が天皇の柩を運ぶことは大正天皇まで(途中されなかったこともあるらしいですが)受け継がれた伝統なのですが昭和天皇の代になりオブザーバーという形になてしまったといいます。

それでもテレビでその存在を放送したのは今はもう廃れてしまうだろう歴史とはいえ語られたことに意義はあったのではないでしょうか。

 

この本の中では上皇が皇太子として語られています。1976年5月刊行となっていますから話自体はもう少し前なわけですね。この話の冒頭で「美智子さんと皇太子のご成婚の時」と語られています。

皇太子(今の上皇)は八瀬童子の方々にぽんぽん質問をされたと書かれています。今はおっとりされた優しいイメージがありますが、この頃はやはり若くておられたのでしょうね。