石黒浩教授。以前TVでやはりロボットについての番組でお見かけしたのですが、その時は他の方のロボット説明に気を取られてしまい、、というのは正直あまり印象に残らなかったのです。
なのに今回録画して観てみようと思ったのは如何なる心理だったのかよくわかりませんが、私はすっごくロボット好きで興味があるので当然だったかもしれません。
そして観てみてよかったです。石黒教授のロボット・アンドロイド工学というのがまさか千年後を見越しての思索だったとは思ってもいませんでした。
石黒教授は子供時代に大人から「人の気持ちを考えなさい」と叱られてどう考えても判らない、と思ったのだそうです。そして高校時代になって「大人も人の気持ちが判ってないじゃないか」と気づいてそれから大人の言うことなど何も信じるものか、と思ったというのが面白い。
確かに人の気持ちなど考えて判るものではないし、大人でも人の気持ちを考えることすらせずに「どうせこうだろう」というような大雑把な態度でもしくは全く考えようともせずにいる人も多い。特に男性は驚くほどそういう人が多いです。
そんな中で石黒教授は考えるということをはぐくんでしまったわけですね。
教授は目の前の(ほぼ)大学生たちに「こうした純粋な疑問は小学生までに生じることです。大人たちの教育で凝り固まってしまった大学生にはもうこんな疑問を持つことができない。あなたたちではもう遅すぎる。(会場笑)でも子供に戻ってもう一度純粋な疑問を思い出してください」
な、なるほどなあ、と思いました。大学生でも無理なのに50歳過ぎでは超特大大盛の無理ですね。
などとあきらめてばかりではしょうがないのでなんとか小学生時期の純粋な疑問を思い出してみたいものです。
「ロボットが大好きでこの世界にはいった学者さんたちは大体人間嫌いなので人間そっくりのアンドロイドが嫌いなのですが、自分は元々絵描きになりたくてでもなれなくてロボット工学に入った人間なので人間自体に興味があるのです。」
と語る石黒教授は「人間とは結局人間とは何か?を考えるためにだけ存在する」と言っておられこれも確かに!と思ってしまいました。
私も比較にはなりませんがこのブログを書き出したのも「人間とはなにか?」を自分なりに考えていきたくてどうしようもない気持からだったと思っています。
人間とは何か?日本人とは何か?男とは、女とは?世の中はまったくおかしなことばかりに思えるけれどどうして人間は一筋縄に解決していけないのか?そんな気持ちです。
教授がじぶんとそっくりなロボットを作ることで自分が思う自分と他人が思う自分が違うことを知り、美しいアイドルタイプロボットを作ることで本当に美しい人というのは人間ではない、ということを知る、という話も面白いです。
講義そして他の映像をじっと見て、石黒教授とそっくりのアンドロイドを見ていると次第にどちらがどちらか判らなくなり、石黒教授だけが出ていてもアンドロイドのような気持になってきます。
教授はアンドロイドにも給料を払ってくれと大学に訴えたが却下されてしまったと憤慨しておられておかしいのですが、確かに人々の好奇心は石黒教授自身にあるのではなくそっくりに作られたアンドロイドのほうにあるのですよね。私もそうなのですが。だとしたら給料をもらえるのは石黒教授なのかアンドロイドなのか。学生たちもアンドロイドに興味があるわけです。
教授は自分のアイデンティティはどこにあるのかと悩み始めたそうです。
登場するテレノイド
な、なんとなくいきなり登場させるとぎょっとしてしまいますね。現在介護施設などでの使用をしているという報道は以前にも見ました。
介護施設のみでなく需要が増えるのかもしれませんね。
そして教授は人間はやがてロボットになると断言します。
これはSF好きであればおおよそこの考え方はいつしかしているはずですね。例えばアニメ「攻殻機動隊」では優れた人形遣いである草薙素子が活躍します。
あの中では彼女は特別な存在ですがそれが当たり前の世界になるかも、かもではなくそうなってしまうはずということですね。
しかしここに当然格差は生まれるはずですね。
資産家・有名人など特別な階級になれた人間は優秀なアンドロイドの体を求められますし、一般大衆はそれなりのアンドロイドになるわけで結局今とあまり変わらない構図にはなるでしょうね。
でもそんな君でも何らかの手柄を立てれば上級クラスのアンドロイドになれる道が開けるのだよ、というストーリーが湧いてきます。
簡単なところで忖度・汚職・贈賄、なんだか今と判らない社会のままですし、一般大衆は安価なアンドロイドで小さな幸せを見つけるしかないのです。
そしてそのころもきっと「人間とは何か?」を問いながら作られたからだと脳みそを駆使しながら生き続けていくわけですね。