ガエル記

散策

あの人は変わった、と思うこと

最近よく思ってしまうのが「かつて良きと思った人がいつの間にか変わってしまった」ということです。

これも年を経たものだから感じてしまうことですが、若い頃に尊敬できる人だと思っていた人物が十数年、或いは何十年か経って近況を知ると以前とすっかり変わってしまった、ということがあります。

尊敬の念が強いほどその差異に驚いてしまうものです。

 

でもこれは色々な場合があるのかもしれません。

まずは有名になったり裕福になったり特別視されることで本人が別の道に入ってしまうことです。

例えば「普通だから良い」と言われていた人が評価されすぎて「違った人」になってしまい、しかし本人は「皆が自分を評価しているから頑張ろう」とますます「違った人」になる努力をしてしまい周囲から「前と違う人になってしまった」と言われてももう元の人に戻れる方法が判らなくなる、というものです。

のんびりやってるのが良くて、いいね!をされて忙しくなりがつがつしてしまうようになれば変わった、と言われてしまう。

手に入れた地位を手放したくなくて保身をしてしまいますます変になってしまったりするのですね。

良い人だから周囲に影響されてしまい変わっていってしまうという気の毒な場合です。

だれでもそういうことはあるのですが。

 

 

ひとつはその人はもともとそういう人だったのに、自分自身がその人の一部だけを見て「立派な人だ」と思い込み信じ切ってしまっていたけど、数年経つうちに別の面、というかその人の本質が見えた、というだけのことだったという場合です。

その人が一つ言ったことや行動が《たまたま》素晴らしいものだったので勝手に神格化して崇めてしまったわけでその人自体は「別に変わったわけじゃないし、自分が偉いと言ったこともない」ということですね。

 

この前テレビで「ファム・ファタル」というのは男が勝手に「運命の女性だ!」と騒いでいるだけのこと、と話しているのがありましたが、まさしくそういうことです。

この勝手な神格化、というのも程度の大小はあれよくあることかもしれません。

 

本人が流されて変わっていくこと、周囲が勝手に神格化していたものが実はもともと違うものだったということ、時間が経ていくことで見えてくるものなのですね。

 

人間は変化していくもの、ですが、時々「この人は変わらないなー」と思うこともあります。

そういう人を見つけた時はほんとうに驚きです。

ある程度なら悪いことでもその部分では感心してしまいますね。

ね。

良い人であることがちっとも変わらないのなら奇跡といっていいでしょうね。

悪い人が良い人に変わるのは勇気が要ることですね。周囲はきっと「前はこんなに悪かったくせに」と言いがちですから。

大変だけど、だからこそそれは奇跡の上をいくものでしょうね。

良い人をずっと続ける方が凄いはずですが、悪い人が良い人になることはなぜか感動してしまいます。