ガエル記

散策

「岬の兄妹」兄が売春すればいいんじゃないか?

どうしてこういう映画っていつも「ダメな兄」と「良い妹」の組み合わせなんだろう。

その組み合わせがすでに日本の男女関係をそのまま映し出しています。

映画を観てはいませんが作品情報を見てうんざりしムカムカしました。

「極貧でどうしようもないクズの兄が自閉症という障害を持つ妹に売春をさせるが彼らは彼らなりの幸せがある」という映画作品とのことです。

レビューを見ると「素晴らしい脚本と演出の優れた作品」という事らしいですが、その前の設定で「こんなにも最低でありながらそこにも幸せがある」を描いているという時点でどうしようもなく嫌な気持ちになります。どんなに技術が優れていたとしても「男が女に売春をさせるという題材」というだけであまりの馬鹿々々しさにげんなりするのです。

今までのそういう映画とは違う、っていうのですか?

何故「女の売春」という題材を扱おうとするのですか?

もう何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もその屈辱を与えてきてまた男が女に売春をさせるのですか?

なぜそんな映画を製作し上映するのですか?

技術が優れていて感動するのであればそれでいいのですか?

いい加減にしてほしい。

 

なぜ日本の映画っていつまでたっても「兄が売春」しないのですか?

クズの妹が障害のある兄に売春させる話だったら見るかもしれないけど兄が妹に売春させる、という時点でこの映画監督の考え方がもう判ってしまうのですよ。

 

中身を見なけりゃ判らない、と言っても見たら兄が売春してたということにはならないのですよね。

何故「売春」という題材が扱われる時、日本の映画は必ず女が売春しているのか?

何故兄がクズで妹がそれを助けるのか。

日本の男女関係とそのまま同じですよね。

それが男には都合がいいからまた確認するために「屑の兄である男」を「障害者(何もできない)女」が支える、という構図を作りたいのです。

「見ないで言うな。中身はそんなに単純じゃないし、見れば感動する」なんて言葉はいらないです。

「兄がクズで妹がにこにこして許している」という最初の設定からぞっとするのです。

痴漢の映画と言えば「冤罪だった」と描き、未成年の女子を買春することを「援助交際」といって子供のせいにしてしまうこの国の男たちの感覚と価値観の怖ろしいほどの勝手さ。

そういうことをこの映画監督は認識して映画を作っているのでしょうか?

 

本当に最低で辛いけど幸せな話を作りたいのなら、片山慎三監督、あなたが男であるなら男が売春する話をまず作るべきではないですか?

男のチンポをしゃぶって尻の穴が裂けて血だらけになってクズの妹を養ってあげる話を今度は作ってみてください。

男のあなたが女を買春させる話などもう作るべきではないのです。

 

兄が不細工なのに妹が可愛いからとかないでしょう。

同じ顔のはずです。

しかも監督の顔だったら大丈夫ですよ。売春しても。

 

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