ガエル記

散策

『アイズ ワイド シャット』スタンリー・キューブリック

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キューブリックの遺作であり気になっていたにもかかわらず今まで観ないままになっていました。

最初の数分でやめてしまっていたのでした。

 

今回急に観る気になったのは宮台真司さんが「フランス人の知り合いはこの映画が馬鹿々々しいと言っていた」という言葉に興味を持ったからです。誰かが「ダメな映画だ」と言っていると気になってしまうのです。何がいけないのかと。

そして今回偶然その言葉を聞いて良かったとしみじみ思っているところです。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

 

まずはもう観ている間魔法にかかって夢の中にいるような心地でした。

しかしこの魔法は人によって効き目がないようです。

他の方のレビューを見ると賛辞もあるのですが批判の率が高いのですね。しかも本作はキューブリックにしては駄作だとも言われているようです。

私としてはどうして駄作なのかがよくわかりません。それほど陶酔して観てしまいました。

とりあえずショスタコビッチのセカンドワルツで暗示にかかったようです。あの曲は奇妙な悪い夢を見ている気にさせます。セカンドワルツの曲に誘われ悪夢を体現させる不気味な館に入っていき観てはいけないものを観ているようでした。

最初は普通の冬の光景だったのがクリスマス時期の色とりどりの光が画面を彩ると完全に陶酔状態になっていきます。

物語は頭のどこかで説明されていきますが目が見ているのは妖しい光景でしかないのです。

きっと私は主人公である医師ビルに共鳴してしまったのです。この映画はそうした現実社会のなかに潜んでいる幻想感覚を体感させる映画ではないかと思っています。

それは先日も書いた『シャイニング』のオーバールックホテルでの悪夢と同じものです。『タイタニック』を観た時に同じ感覚に襲われぞっとしたアレです。

それは『青い鳥』の中の舞踏会の場面にも共通する気持ち悪いあの感覚です。これは同じ感覚を持ったものだけが共鳴できるものなのでそれを感じたことがあるかどうかでしか共感できません。

上流社会・特殊な組織に感じるアレなのです。

 

 

あまりに感覚的な表現だけだとわかりにくいので説明していきます。

といってもそれは多元的なものになっていきますので少しずつ始めます。

 

まず思ったのは今までの映画であれば主人公がヒロインであったのではないかということです。つまり逆の設定を考えてみるのです。

安定しきった夫婦であるため夫が浮気もしくはその疑いを感じた妻が苛立ち自分自身もアバンチュールを楽しんで見返したい、と考え思わぬ深みにはまってしまう、という話ならありがちなのです。

 

しかし本作は男性が主人公です。男性ではあるけれど女性のように貞淑で内気で繊細な性格を持っている男なのです。

なので女性である私も彼にそのまま共鳴してしまったのです。

本来、妻が浮気した(本作では気持ちの上でのみ、なのですが)腹いせなら男性の場合簡単に買春できるし本作でも手始めにそこへ行くのですが妻からの電話で中断されてしまいます。

がその後、旧友が秘密結社で行われる仮面集会でのピアノ演奏奏者であったために禁断の扉を開けてしまう、という展開に入り込んでしまいます。

そこでも彼は「危険だからここに近づいてはいけない」という忠告を受け何もしないまま帰宅します。

本作はエロスへの恐怖躊躇い戸惑いびびりのみが描写されます。

妻が自分以外の男とセックスしている場面は主人公の妄想でしかなく、妻の浮気告白も妄想でしかないのです。

とはいえ我々人間恐怖症の人間たちにとってこうした妄想ほど耽美でエロチックな時間はないのでしょう。

 

冒頭に話した「フランス人の知り合いにとっては馬鹿々々しい作品」というのは今でも通じるのでしょうか。

世界は案外閉鎖的でびびりへ向かっているのかもしれません。後年この映画はもっと多くの賛同者を得るようにも感じます。

作品中で主人公が最も死の危険に近づいたのは仮面集会でよりもごく普通の部屋で売春婦と接した数分だったかもしれません。

再度訪問した時主人公はそこの同居人に彼女がHIV感染していたことを告げられます。

そして秘密結社の仮面集会で主人公を助けた女性が死体で見つかり彼は自分の行いが女性を殺したと悟ります。そしてこの考えは誤解だと諫められるのですが果たして真相はどこにあるのでしょうか。

主人公は死んだはずでありまた殺人者でもあるのです。

彼は善良な人間であり夫であり父親ですが様々な扉はいつ開かれるかわからず、そこへ入る可能性はいつもあるのです。

 

聖なる週間であるクリスマスシーズンに善人であるはずあるべき主人公はイルミネーションに惑わされ罪を犯しました。

その試練はぎりぎりの崖っぷちで回避できました。主人公自身が薬漬けの女性に助言します。

「次はないよ」と。

そして彼自身も、なのです。

 

奇妙で不思議な映画作品です。

ジーグラーと主人公の会話で一連の出来事は「シャレード」だったのだと説明されます。

私は英語音性・字幕付きで観ていました。英語不得手の私が偶然聞き取れた「シャレード」の言葉なのですがこの言葉がすべてを表しています。

 

そして主人公は妻に告解したのでした。

そして主人公は妻に赦されて物語は幕を閉じます。

すべてはクリスマスの出来事、彼は赦されたのでした。

 

難解な映画、とか言われているとのことですし「よくわからない」というレビューも見ましたがこんなに明晰でわかりやすい映画もないくらいわかりやすいと私には思えます。

 

とはいってももっと早く観ていたらもしかしたらよく分からなかったのかもしれません。今まで観る機会もあったのに且つ数分観ていたにもかかわらず先に進もうと思えなかったのです。

今回もっとも良いタイミングで観通せたように感じます。

物語の筋書きだけを追う映画ではなく感覚的共鳴度を求められるようにも思われます。

 

主人公を演じたトム・クルーズにも「良くない」という批判が多いのですが私はちょうど良かったのではないかと思っています。

あまり背の高くない善良な弱気な美男子として適役でした。