ガエル記

散策

「ゲーム・オブ・スローンズ」第七シーズンまで

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TVドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ」最終章が放送されているそうですが、私はネット配信で第七シーズンまで鑑賞し今再鑑賞しているところです。

不真面目にながら鑑賞していましたので、再鑑賞もなかなか新鮮です。

何故再鑑賞し始めたのかというと実はわたくしめ、どうしてももう一度シオン・グレイジョイが見たかったのです。

 

以下、ネタバレなのでご注意ください。

 

 

 

 

シオンってば、ほぼ登場シーンは虚栄を張ってるか酷い目にあってるか酷い目にあってるか酷い目にあってるか、という感じで惨たらしいイメージしかわかない人物なのですがあのドラマのなかでのあの顔が凄く好きで、でも無惨で観ていられなかったのですが7章まで観てしまった後、シオンをもっとよく観たかったと思ってうずうずしていました。他のどんな活躍した人物よりシオンが思い出されてしょうがないという人は他にも多いのでしょうか。

アマプラにあったので、どうせなら最初からと思い見始めました。最初はほんとあまり出てこないのですよね。しかしさすがに「ゲーム・オブ・スローンズ」2回目でも面白く観ていき、結局シーズン2くらいで契約が切れてしまったのでhuluで続きを見ることにしました。

まだ途中なのですが、シオンの拷問場面が思いのほか短かったので「あれ?もっと延々と拷問されているように思えてたんだけど?」とまるで拷問シーンを期待してたかのような感慨に落ちてしまいました。

あまりにも拷問シーンが怖くて記憶の中で増幅されてしまっていたのでしょう。それを知ったのもよかったです。もし見返さなければ「ずーっと拷問されて」と思い込んでしまってました。それでも惨たらしいことに変わりはないのですが。

あの傷つきやすそうな陰気な感じが拷問の苦痛にますます哀れになっていくのがとてもステキなシオン・グレイジョイなのです。

拷問している男が物凄く不敵な面構えなのもよいですね。

いやほんとに拷問シーンなんて物凄く苦手で怖いんですが。

傷ついたシオンが魅力的すぎてどうしようもないのです。

 

さて、「ゲーム・オブ・スローンズ」本当に面白いですね。しかもジェンダーに物凄く気を使っているのがびしびし判ります。

これまでにあったこういう大河ドラマで描かれてきた男女の役割を基盤にしながらあえてそれをひっくり返していく。よくある、ジェンダーの役割が逆になった世界、ではなくジェンダーの意味合いはそのままにしてその運命を登場人物たちがどんな風に変えていくか、という試みをしていると感じます。

7章までの感想になりますが、よく言われてもいますが最も注目されるのはサンサの生き方です。

華やかな都市に憧れ王子様との結婚を夢見、それが叶えば一番幸せな女性になれると信じていたサンサはそれがすべて馬鹿な妄想だったと現実をつきつけられ一旦は哀れに追従するしかない立場に落とされてしまいますが、懸命に自分の運命を生き抜こうと努力します。悪賢い男によって妹との仲違いをさせられそうになるのを覆していく物語の運び方は今まで弱い女のパターンとして陥る悲劇を跳ね返した素晴らしいものでした。

女性の活躍が大きく目を引くドラマですが、男性たちのキャラ付けも面白いと思います。

主人公・ジョン・スノウがやや頼りなくいつも思い悩んでいるタイプなのも現代風で良いですね。

だけどやはりこのドラマの見ごたえある男キャラは何と言ってもティリオン・ラニスターです。自分が見ているイメージとしては彼が出てくる場面が最も多いように感じるのですが違うのでしょうか。

そして物語の運び手としての役割でもあるように思えます。

小人症である、ということがこのドラマの中でも繰り返し語られるわけですがその彼が常に物語の中心となって登場している、ということもこのドラマの作り手の意志が感じられます。

今までのドラマでは彼のような存在はいつも脇役であり続けてきましたが、本作では彼こそが主人公なのでは、とも思えます。

ジョン・スノウが「落とし子」というハンデを持つように(今は違うと判明)ティリオンは「小人症」というハンデを持つ、というような設定のひとつなのです。

ティリオンが「インプ=小鬼」というあだ名を持つ、というのもかっこいいと感じます。

そしてサムウェル・ターリー。太っちょで「サム」と呼ばれている男性です。ジョン・スノウと同じくナイツウォッチに加わるが皆が呆れるほど弱く、これという特技も持たない。貴族ではあるが父親から「役立たず」と侮蔑され続けてきたため自己評価が怖ろしく低い。そんな彼が生き抜くさまもこのドラマの見ごたえになっています。

みるみる上達していくのではなく、相変わらず弱いままで生き延びていく、そこがポイントなのです。

 

非常に面白く様々な問いかけをしているドラマで最高のドラマのひとつだと思います。

が、これは余談として不思議に、というかやはりそういうものなのか、と思わせられることもあります。

それはこのドラマはたぶん中世イギリスおよびヨーロッパをイメージして作られたものなので白人中心で黒人が奴隷として登場している、のは仕方ない発想だとしても度ラスク人がモンゴルをイメージしたものだと聞いた時も「そうなのか」とは思いましたが、ではなぜそのモンゴルをイメージしたドラスク人が黄色人種ではなく(簡単に表現しにくいけど)アラブ系とイメージされてしまう形にしたのか。

ドラマ中話される「ドラスク語」は造語なのですがそれを作った人が「知らない者にはアラビア語のように思える」と言っているようです。私にはアラビア語には思えませんかなり適当な言葉に聞こえてしまいます。

が、ここで私が一番気になっているのはドラスク人の適当さ、ではなく「なぜドラスク人を黄色人種にやらせなかったか」なのですね。

特にドラスクの王ドロゴはマッチョでかっこよく見えます。このかっこよさがデナーリスの夫として必要だったのではないでしょうか。

デナーリスはその後、ジョン・スノウと恋に落ちますが、ジョンとの対比のためにも背が高くかっこいい存在が前置きとして欲しかった。黄色人種では役不足、という事に思えてきます。

それにしてもドロゴは外見はかっこいいですがどうにも中身がなさすぎでしたし、最後も哀れだったように思えます。

白人キャラクターの中身の濃さに比べると有色人種になった途端絶望的に中身がない人物になってしまう。そして黄色人種は存在すらしない、というのがこの最高に面白いドラマの残念な点ではあります。

他の奴隷として登場する有色人たちもなんとなくおざなりなのですね。

白人たちによる物語の面白さが有色人種だと見かけは綺麗ですが心はあまり描かれない。

そして黄色人は登場させるのも見栄えがよくない、という意味に思えます。

実際は本当にモンゴルは脅威であったはずなのですけどね。

 

しかしそうした欠点に目をつぶってしまうほど核の物語は面白いです。

面白いがゆえにジェンダーへの気配りの細かさに驚くがゆえに有色人に対しての大雑把さ、黄色人無視に無念を覚えてしまうのですが。

 

そしてこれはこのドラマに限ったことではなく多くの映画作品で(出来不出来は別として)白人+黒人の物語はあれど白人+黄色人の物語はほぼ無いに等しいですね。

もちろん黒人+黄色人もですが。

物語はまだまだ語るべき余地がたくさんありすぎるほどある、ということでもありますね。

ゲーム・オブ・スローンズ」はジェンダーを上手くコントロールして描いた作品です。

人種を上手く描いた作品が生まれるのはいつになるでしょうか。